「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

4年間の努力を1行で壊すな 誹謗中傷「1週間で6万件超」ミラノ五輪に見える日本スポーツ文化の闇

2026 2/17 06:00堀内
ガラスに印刷されたミラノ・コルタナダンペッツォ五輪のロゴ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

パリ五輪「8,500件」からの爆発的増加が示すもの

2024年パリ五輪で大会全体を通じて確認された誹謗中傷が約8,500件。それに対し、2026年ミラノ・コルティナ五輪では、開幕からわずか1週間で62,333件―実に7倍を超える異常な数値が記録された。この爆発的増加は、単なる「マナーの悪化」では説明できない。そこには、テクノロジーと人間の感情が歪んだ形で結合した、構造的な問題が横たわっている。

SNSアルゴリズムが生む「憎悪の連鎖反応」
この異常な増加ペースの背後には、SNSプラットフォームのレコメンド機能が深く関与している。X(旧Twitter)やInstagramなどのアルゴリズムは、ユーザーの「エンゲージメント(いいね、リツイート、コメント)」を最大化するよう設計されている。そして皮肉なことに、怒りや憤りといった強い感情を伴う投稿ほど、このエンゲージメントを獲得しやすい。

ある選手が失敗した瞬間、最初の数件の批判的投稿が「バズる」と、アルゴリズムはそれを「人気コンテンツ」と判断し、無関係なユーザーのタイムラインにも拡散する。こうして同調圧力が生まれ、「自分も何か言わなければ」という集団心理が雪崩を打つように広がっていく。これがバンドワゴン効果(勝ち馬に乗る心理)であり、1つの炎上が次々と新たな攻撃者を生み出す「憎悪の連鎖反応」を引き起こす。

パリ五輪から1年半で件数が7倍に膨れ上がった背景には、このアルゴリズムの「最適化」がある。プラットフォーム側は年々、より効率的にユーザーを引き留めるため、感情的な投稿をより広く届ける仕組みを強化してきた。その結果、冬季五輪という「4年に一度」の希少なイベントで、感情が増幅されやすい時差観戦という条件が重なり、前代未聞の炎上規模となった。

AI検知精度の向上が浮き彫りにした「潜在的悪意の巨大さ」
JOCは今大会、AIを活用した24時間監視体制を敷いた。これにより、従来は人の目では見逃されていた膨大な数の悪質投稿が可視化された。つまり、6万件という数字は「誹謗中傷が急増した」のではなく、「もともと存在していた潜在的な悪意が、テクノロジーの進化によって初めて数値化された」側面もある。

だが、ここに深刻なジレンマがある。JOCが削除を要請した1,055件のうち、実際に削除されたのはわずか198件―成功率18.7%という低迷ぶりだ。これは、プラットフォーム側が定める「コミュニティガイドライン違反」の基準が、実際のハラスメント被害と大きく乖離していることを意味する。

たとえば「税金の無駄遣い」「強化費で海外旅行か」といった言葉は、直接的な暴力表現ではないため、AI自動削除の対象外となる。しかし、負傷した選手に浴びせられるこれらの言葉は、心理的には凶器に等しい。検知技術が進化しても、削除される投稿が全体の0.31%に過ぎないという現実は、「誹謗中傷の99.7%は野放しにされている」ことを意味する。

時差と深夜視聴が生む「理性の麻痺」
イタリアと日本の8時間の時差も、この問題を加速させた。多くの日本人ファンは、深夜から早朝にかけて競技を視聴する。この時間帯、人間の前頭前野(理性・判断を司る)の機能は著しく低下し、扁桃体(感情・衝動を司る)が過剰に活性化する。

つまり、日中であれば「これは言い過ぎだ」と踏みとどまる投稿が、深夜の脳では抑制が利かずに発信されてしまう。アルゴリズムによる拡散と、生理学的な抑制の低下―この二重の構造が、ミラノ五輪における異常なペースの誹謗中傷を生み出している。

「応援」が「中傷」に反転するメカニズム

「オレ理論」―自己の価値観を絶対視する認知の歪み
誹謗中傷を行う者の多くは、自らを「批判者」ではなく「正当な意見を述べる市民」だと認識している。この背後にあるのが「オレ理論」。すなわち、自分の価値観を絶対視し、それを他者に押し付ける認知の歪みである。

「税金を使っているのだから、結果を出せないなら謝罪すべきだ」「プロなら批判されて当然だ」「4年も練習してきて何でこんな失敗するの?」といった投稿は、彼らにとって「正しい指導」「厳しいが必要な助言」なのだ。この認知の歪みにより、攻撃性は自己正当化され、罪悪感は消失する。

心理学的には、これは「道徳的ライセンシング」と呼ばれる現象である。自分が「正しいこと」をしていると信じることで、むしろ攻撃的な行動を取るハードルが下がる。納税者としての権利意識、スポーツへの期待、国家への貢献といった「大義名分」が、誹謗中傷を「正義の行使」へと転換させてしまう。

正義の暴走、選手を「資源化」する心理
応援が中傷に反転する瞬間には、明確なトリガーが存在する。それは「期待の裏切り」だ。特に冬季競技は、地上波での露出が五輪期間中に集中するため、競技の難易度や選手のバックグラウンドを知らない「にわかファン」が大量に流入する。



ここで強調しておきたいのは、「にわかファン」の存在そのものは決して否定されるべきものではないということだ。むしろ、五輪をきっかけに競技に関心を持つ新規層は、競技のすそ野を広げ、スポンサーシップの拡大や競技人口の増加に大きく貢献している。フィギュアスケートやカーリングが国民的人気を獲得した背景には、こうした「新しいファン」の存在が不可欠だった。問題は、にわかファン全体ではなく、その一部に見られる攻撃的な振る舞いにある。

この一部の層は選手を「メダルという報酬を持ち帰る道具」として消費する。競技知識が浅いため、試合のプロセスや技術的困難さ、選手が積み重ねてきた努力の文脈を理解できず、ただ「メダル獲得」という表面的な成果のみを期待する。期待が外れた瞬間、その失望はダイレクトに怒りへと転換される。

ここで作動するのが「栄光浴(バスキング・イン・リフレクテッド・グローリー)」と呼ばれる心理的行動である。これは「勝者」や「権力者」、「成功者」などと自分を同一視することで、自尊心を高めようとする行為だ。この時「日本代表」の勝利は「日本人である自分」の勝利として消費される。しかし、選手が失敗すると、この自尊心は傷つけられる。すると今度は「敗者」から距離を置き、批判することで自分の価値を守ろうとする。

この心理構造では、選手は最初から「個人」として尊重されていない。彼らは応援者の自尊心を満たすための「資源」に過ぎず、資源としての価値を失った瞬間、容赦なく攻撃される。

「安全な場所」からの暴力、匿名性が生む残忍さ
オンライン空間では、攻撃者は物理的な報復を受けるリスクがない。この「安全性」が、彼らの攻撃をより残忍にする。対面であれば決して口にしないような言葉が、画面越しであれば平然と発信される。

さらに、炎上が進行すると「みんなが叩いているから自分も」という同調圧力が生まれる。集団の中に紛れることで、個人としての責任感は希薄化する。これを「責任の分散」と呼ぶ。100人が同時に石を投げれば、「自分一人のせいではない」と自己を正当化できる。

こうして、応援していたファンは、一夜にして匿名の暴徒へと変貌する。「正義」の名のもとに、「安全な場所」から、集団で、一人の人間を追い詰める―これが現代のデジタル・リンチの構造である。

誹謗中傷がもたらす「見えない破壊」

パフォーマンスの低下、恐怖が生む身体の硬直
誹謗中傷は、選手のパフォーマンスに直接的なダメージを与える。JOCの調査では、強化指定選手の約11%が実際に中傷被害を経験し、39%がSNSの影響に不安を感じている。

試合前、選手がSNSを開き、そこに「お前のせいで負けた」「代表を辞退しろ」といった言葉を目にした瞬間、彼らの身体は防御的になる。心理的なストレスは筋肉を硬直させ、判断力を鈍らせる。高速で回転するスノーボードのトリック、0.01秒を争うスピードスケート、こうした極限の競技において、わずかな心の揺らぎは致命的なミスにつながる。

近藤心音選手が負傷で棄権した際に浴びせられた「税金の無駄遣い」という言葉は、単なる言葉では済まない。次に彼女が競技に復帰する時、その言葉は心の傷として残り、「また失敗したら叩かれる」という恐怖が、本来のパフォーマンスを奪う可能性がある。

スポンサーシップの縮小リスク、ブランド価値の毀損
企業がアスリートとスポンサー契約を結ぶ理由は、そのアスリートが持つ「ポジティブなブランド価値」を自社製品と結びつけるためだ。しかし、誹謗中傷が常態化すれば、選手のイメージは「炎上リスク」として認識される。

企業は「この選手を起用したら、炎上に巻き込まれるのでは」と懸念し、契約を見送る可能性がある。特に冬季競技は競技人口が少なく、スポンサー収入が選手生活の命綱となっている選手も多い。誹謗中傷によってスポンサーが離れれば、選手は経済的基盤を失い、競技継続すら困難になる。

また、スポンサー企業自体も、ネガティブな感情が渦巻く環境への投資を控えるようになる。スポーツが「感動」や「勇気」ではなく、「炎上」や「批判」と結びつけば、企業にとってスポーツマーケティングの価値は低下する。これは、スポーツ界全体の経済基盤を蝕む長期的なリスクである。

競技人口の減少、子どもたちが憧れを失う時
最も深刻なのは、次世代への影響だ。子どもたちがテレビやSNSで目にするのは、懸命に戦う選手の姿だけではない。彼らは同時に、その選手が失敗した瞬間に浴びせられる容赦ない言葉も目にする。

「オリンピックに出たら、失敗したら叩かれる」「メダルを取れなかったら税金泥棒と言われる」―こうした認識が子どもたちの心に刻まれれば、スポーツは「憧れ」ではなく「恐怖」の対象となる。

すでに一部の競技では、保護者が「SNSのリスクを考えると、子どもにトップアスリートを目指させたくない」と語るケースも報告されている。誹謗中傷は、未来のメダリストの芽を、見えないところで摘み取っている。

日本のスポーツ文化が持続可能であるためには、子どもたちが「憧れ」を持ち続けられる環境が不可欠だ。しかし、現在の誹謗中傷の状況は、その基盤を根底から破壊しつつある。

ファンが持つべき3つのリテラシー

監視強化や法的措置だけでは、この問題は解決しない。重要なのは、ファン一人ひとりが「応援のあり方」を問い直すことである。以下、3つの具体的なリテラシーを提示する。

1. 「プロセスへの敬意」結果の前に、4年間の努力を見る
冬季競技の多くは、五輪以外でメディアに取り上げられる機会が極めて少ない。そのため、多くのファンは選手の「4年間の準備プロセス」を知らないまま、五輪という「結果」だけを見て判断してしまう。

しかし、アスリートは結果を出すために、血の滲むような努力を積み重ねている。毎日の基礎トレーニング、海外遠征、怪我との闘い、家族との別離―そのすべてが、たった数分、数秒の演技に凝縮されている。

ファンが持つべき第一のリテラシーは、「結果だけで選手を評価しない」ことだ。失敗した選手に対して、「4年間の努力を無駄にした」と批判するのではなく、「4年間、よくここまで頑張った」と敬意を持つ。その視点の転換が、誹謗中傷を減らす第一歩となる。

メディアもまた、メダル獲得の瞬間だけを切り取るのではなく、選手の日常や苦悩、成長の物語を丁寧に伝える責任がある。プロセスを知ることで、ファンの感情は「期待と失望」から「共感と敬意」へと変わる。

2. 「投稿前の自己問答」自分の言葉が誰かを傷つけないか、一度立ち止まる
SNSは、思考から発信までの時間を極限まで短縮した。感情が湧き上がった瞬間、指が動き、投稿ボタンを押す―そこには、従来の「手紙を書く」「電話をかける」といった行為に存在した「冷却期間」がない。

だからこそ、意識的に「立ち止まる」習慣が必要だ。投稿する前に、以下の3つの問いを自分に投げかける。

・この言葉を、選手本人の目の前で言えるか?
 対面では絶対に言えない言葉を、オンラインで発信することの暴力性を自覚する。

・この投稿は、建設的な批判か、それとも単なる感情のはけ口か?
 批判には「次に活かすための具体的な提案」が含まれる。ただの罵倒は、批判ではなく暴力である。

・自分がこの立場だったら、この言葉をどう受け取るか?

 想像力の欠如が、誹謗中傷を生む。立場を入れ替えて考える習慣が、言葉の暴力を抑制する。

特に深夜の視聴後は、感情が高ぶり、判断力が低下している。「今は投稿しない。朝、冷静になってから考える」という選択肢を持つだけで、多くの誹謗中傷は防げる。

3. 「連帯の可視化」誹謗中傷を見たら、沈黙ではなく応援を声に出す
炎上が拡大する背景には、「サイレント・マジョリティ」の存在がある。実際には、多くのファンは選手を応援している。しかし、批判的な声だけが大きく拡散され、応援の声は埋もれてしまう。

誹謗中傷を目にした時、「自分は関係ない」と黙っているだけでは、状況は変わらない。むしろ、沈黙は攻撃者に「多数派は自分たちの味方だ」という誤った認識を与えてしまう。

第三のリテラシーは、「応援を可視化する」ことだ。選手が批判されている時こそ、「あなたの頑張りに感動した」「結果に関係なく、あなたを応援している」というポジティブなメッセージを発信する。

この「カウンター・ナラティブ(対抗言説)」の力は大きい。攻撃的な投稿が100件並ぶ中に、1件でも温かい言葉があれば、選手はそれを支えとすることができる。そして、応援の声が増えれば、アルゴリズムもそれを「エンゲージメントの高いコンテンツ」として拡散し、誹謗中傷を相対化する効果が生まれる。

具体的には、ハッシュタグ「#選手への応援」「#○○選手ありがとう」などを使い、ポジティブなメッセージを集約する取り組みも有効だ。個々の声は小さくても、集まれば大きな力となる。

「温かく見守る」は道徳ではなく、スポーツ界存続の必須条件

ミラノ・コルティナ五輪で露呈した6万件超という数字は、日本のスポーツ文化が抱える深刻な病理を映し出している。これは一過性の問題ではない。次の北京夏季五輪、そしてその先の大会でも、この数字はさらに膨れ上がる可能性がある。

JOCが訴える「温かく見守る」姿勢は、もはや道徳的な呼びかけではなく、アスリートが安全に競技を続けるための必須条件である。ファン一人ひとりが、自分の言葉の重みを自覚し、応援のあり方を見直す時が来ている。

アルゴリズムは感情を増幅させ、深夜の脳は理性を奪い、匿名性は暴力のハードルを下げる。しかし、最終的に投稿ボタンを押すのは人間の指だ。テクノロジーのせいにするのではなく、私たち一人ひとりがデジタル時代の「応援の作法」を再構築しなければならない。

スポーツは勝者を称えるだけでなく、敗者にも敬意を払う文化であるはずだ。その原点に立ち返ることが、今、最も求められている。

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