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【F1】日本人初のF1ウィナーに期待 角田裕毅がこれほど注目を集めるワケとは?

2021 3/13 11:00河村大志
2021年のF1に参戦する角田裕毅
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Ⓒゲッティイメージズ

歴史を塗り替える可能性を秘めた20歳

2021年のF1に日本人ドライバーが参戦することになった。小林可夢偉以来7年ぶりに角田裕毅がF1フル参戦を果たす。角田は現在20歳で、今年のドライバーの中では最年少、そして初の2000年生まれである。待望の日本人F1ドライバーの誕生に多くのファン、メディアが角田に注目しており、「特別」「今までの日本人ドライバーとは違う」という声も多く聞かれる。それは一体なぜなのだろうか。

かつて、才能を持った日本人ドライバーがF1に挑戦し続けてきた。しかし日本ではあまり経験することのない激しい戦い、言語も文化も違うヨーロッパが主戦場ということもあり、環境に適応するのに時間がかかった。レースで戦うためには、身につけなければいけないことが多く、それに時間を費やしてる間に、ライバルたちとの差が開いてしまうということがよくあった。

さらに近年のF1は若年齢化が進んでおり、日本で実績を作って20代後半で参戦するのでは遅い。現在レッドブル・ホンダのエースであるマックス・フェルスタッペンは17歳でデビューし、18歳で初優勝している。彼の出現と同時に一気に若手の起用が増えていった。時間が足りない日本人ドライバーにとって、この若年齢化はさらにF1への道を厳しくする要因となっている。

角田は全日本カート選手権を経て、2017年にFIA F4選手権に参戦。翌年にチャンピオンに輝き、ホンダの育成ドライバーとしてヨーロッパへ渡った。これまでであれば、全日本F3にステップアップさせ、実績を積ませてから海外進出させるのが一般的な流れだったが、角田を早い段階でヨーロッパに挑戦させた。ホンダが近年の起用スタイルを理解し、行動に移した結果がわずか2年でF1に辿り着いた大きな要因の一つに違いない。

ハンガリーで行われたF3のテストで、角田は全てのレッドブルジュニアドライバーのタイムを上回り、レッドブル・モータースポーツ・アドバイザーとして育成プログラムに携わっているヘルムート・マルコの目に止まった。結果を残せなければすぐにプログラムから外されるなど、厳しいことで知られるレッドブルの育成に角田は自慢の速さを持ってして参加し続けた。メーカーの育成だけではなく、実力で選択肢を広げていったところが今までの日本人ドライバーと大きく違う点だ。

わずか18歳でFIA F3に参戦することになった角田だが、いきなり結果を出すことはできなかった。それには理由がある。ひとつはチームのポテンシャル不足と角田自身の経験不足。もう一つは、F3と同時期にユーロ・フォーミュラ・オープン・チャンピオンシップに参戦していたことだ。

ミシュランタイヤを使用するユーロ・フォーミュラ・オープンとピレリタイヤを使用するFIA F3を交互に乗るというスケジュールではやはり厳しい。同じF3マシンとはいえ、運転の仕方が全く違うふたつのマシンをドライブしなければならず、ひとつのマシンに集中できなかったことが苦労した要因だ。

特に予選での速さが足りず、上位争いができなかった。しかし、夏休み明けの第6戦ベルギーGPから角田は上昇気流に乗る。レース1で6位入賞を果たし、レース2で2位表彰台を獲得。続く第7戦イタリアGPでは予選11位と出遅れるも決勝レース1で3位、レース2ではついに初優勝を成し遂げた。

夏休み前、チームと自身の弱点を徹底的に見直したという角田。この年ランキング9位でシーズンを終えたが、戦闘力の劣るマシンで高いポテンシャルを見せつけた角田の活躍を周囲はしっかり評価していた。そういうこともあり2020年、F1直下のカテゴリーであるF2へのステップアップが決まったのだ。

F1参戦を決定付けたものはやはり「結果」だった

F1参戦に必要なスーパーライセンスポイントは過去3年で40以上。2020年時点でスーパーライセンスポイントを14ポイント保有していた角田にとって必要なのはランキング4位(F2の年間ランキング4位で獲得できるポイントが30)だった。

しかし、F2でも序盤は波に乗れずフラストレーションのたまる展開が多かった。第2戦ではポールポジションを獲得し、レース1では2位表彰台を獲得するも、ミスや接触など不運もあり第3戦まで6レース中、ポイントを獲得できたのがわずか1レースのみだった。

だが、続く第4戦イギリスGPで転機が訪れる。予選は9位と出遅れるもレース1で3位に食い込み、今季2度目の表彰台を獲得。レース2はリタイヤに終わるも、このレース以降不運がない限り、角田は決勝で予選よりも順位を上げていった。

ポイントを重ねていった角田は残り2戦(4レース)を迎える時点でランキング3位。角田からは自信といい流れを感じることができたが、予選でスピンを喫しエンジンがストップ。赤旗の原因となりまさかの予選最下位となった。しかし決勝では見事な追い上げで6位入賞、ダメージを最小限にとどめたものの、レース2では他車との接触によるパンクで痛いノーポイントに終わってしまう。これにより角田はランキング5位に後退し、スーパーライセンス獲得に黄色信号が灯る結果となった。これまで幾度となくあった不運がこの窮地でも角田を襲った。

この逆境でも、最終戦で角田はフリー走行、予選でトップタイムを記録し、シーズン4度目のポールポジションを獲得した。ポールポジションポイントの4ポイントを加算した角田は決勝でも魅せた。

先行する2台よりもピットインを遅らせた角田はオーバーカットに成功し前に出るも、タイヤが温まっている2台にすぐさまパスされてしまう。しかしこのハイペースを最後まで維持できるはずがないと考えた角田は前2台の様子を伺いつつ、タイヤマネージメントに徹した。角田の予想通りシュワルツマンのペースが落ちはじめ、36周目にオーバーテイクし2位に浮上。その勢いでトップのマゼピンに追いついた角田は44周目にオーバーテイクを試みるも、マゼピンの過剰な幅寄せによりトップに立つことができない。しかしこの行為に対しペナルティーが課せられ角田はトップに浮上、そのままトップチェッカーを受けた。速さだけではなく、見事なタイヤマネージメントでつかんだ会心の勝利だった。

レース2ではリバースグリッドの8番手からのスタートにもかかわらず2位でフィニッシュ。ランキング3位でシーズンを締めくくり、見事F1参戦に必要なスーパーライセンスを獲得したのである。

才能を結果に結びつけた意識改革

抜群の速さ、ブレーキング、タイヤマネージメントの巧さ、完璧なレースの組み立て、これらは角田の強さを物語る要素だが、これらを結果に結びつけたのは、角田が取り組んだ意識改革にある。

F2でも序盤は苦しんだ角田だが、上記に記した通り、ターニングポイントは第4戦イギリスGPだった。実はそこで角田が取り組んでいた取り組みが結果に結びついていたのだ。それはチームとのコミュニケーションを増やすことだった。

F3時代から角田は無線でのやりとりが好きではないと公言していた。レースエンジニアはドライバーに必要な情報を無線で伝えるのだが、走ることに集中しているドライバーからしてみれば時にじゃまに感じてしまうこともある。

F3時代はエンジニアの無線に対し、「黙ってくれ」と言い返す場面もあった。インタビューでは淡々と語る印象の角田だが、レース中は熱くなりやすい。うまくいかない時に無線でさけぶ場面も多く見られたが、本人曰く、叫んだレースとそうでないレースウィークとでは結果が全く違うものだったという。常に冷静になることを意識した角田は、落ち着いてレースをするようになった。メンタルの強さはこうした地道な取り組みによって得られたというわけだ。

最終戦で存分にはっきしたタイヤマネージメントもチームが細かくどういうふうに走らせたらいいのかを伝えてくれたことが大きい。適切なアドバイスがもらえるのもチームとコミュニケーションをしっかり取れたからこそだ。

「歴史を塗り替えたい」角田の壮大かつ明確な目標

これまではF1に行くことが目標だったが、参戦が決まった今、角田はすでに壮大かつ明確な目標を掲げている。

「自分としては2030年までF1に残ることが目標です」と、角田。「そこまで残れたとしたら、F1のなかでも実力があるドライバーと認められていて、何回か優勝しているはずだし、チャンピオンにもなっているはず。実は、できれば2035年までF1に乗りたいと思っていて、僕の野望としてはルイス・ハミルトン選手が今年達成した7回のワールドチャンピオン、これはミハエル・シューマッハー選手と並ぶ史上最高の記録ですが、これを自分は抜きたいので、それが2035年までに達成できれば、と、思っています」

レッドブルの育成に選ばれ、F2への参戦を決め、F1参戦をつかみ取ってきた。才能はもちろんのこと、自らの弱点を理解し改善した角田に大きな弱点は見当たらない。20歳にしてヨーロッパでこれほどまでに実力を認められた日本人は未だかつていなかった。今年は誰も見たことがない景色を角田が見せてくれるかもしれない。いや、見せてくれると信じている。


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