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日本独特!男子新体操の海外の反応とは?

2017 7/10 10:25フェデ
競技場
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Photo by Mitrofanov Alexander/Shutterstock.com

ここでは、日本男子新体操の歴史と、それに対する海外の反応を紹介する。 日本発祥の男子新体操がプロパフォーマンス集団からも認められることで、海外での認知度を上げているのだ。

男子新体操の発祥と広がりとは

新体操と聞くと女子のイメージが強いが、男子新体操も存在する。日本発祥の競技なのだが、残念ながら国際体操連盟に競技種目として認められていない。(2017年6月現在)
2003年、日本以外にマレーシア、韓国、カナダで国際大会が行われ、2005年には、これにアメリカ、オーストラリア、ロシアが加わり、国際化が進められていく。普及にはメディアの力も大きく関わっており、テレビ番組「1億人の大質問?笑ってこらえて」で紹介されたのも、そのきっかけとなった。

男子新体操の海外への広まり

2001年に創部した青森大学男子新体操部のOBが2009年に脳腫瘍を患い亡くなった。この年のインカレでは、青森大学団体が先輩にささげる演技として応援を自粛した。結果は優勝を勝ち取ることになったが、物語はまだ続く。
大会の会場は、代々木第一体育館だったが、亡くなった先輩の最後の舞台が同会場であったことから、この場所で優勝して弔いの演技にしたいという思いがあったそうだ。このエピソードとともに演技の動画が数多く再生され、海外にも広まった。

青森大学の演技で受けた海外の反応

この2009年の青森大学の演技は、そのエピソードとともに動画を通して国内のみならず世界に発信された。では、彼らの演技で海外にどのような影響を及ぼしたのか。
世界的に知られているパフォーマンス集団の「シルク・ドゥ・ソレイユ」。彼らも青森大学の新体操を受けて、当時行っていた「ザ・イモータル・ワールドツアー」で男子新体操を演技に取り入れた。それだけ青森大学男子新体操の演技が男性的で力強く、そしてしなやかさも兼ね備えたものだったことが分かるだろう。

日本男子新体操を牽引する田原丈嗣さん

シルク・ドゥ・ソレイユが男子新体操に着目するようになり、それとともに、転向した選手がいる。田原丈嗣さんだ。
田原さんは、小学校6年生で男子新体操を始め、神崎清明中学ではなかなか成績を残すことはできなかったが、神崎清明高校へ進学した後は、メキメキと頭角を現し、2007年の高校総体男子団体で優勝。2008年の国民体育大会では少年男子団体で優勝を飾っている。
大学は花園大学へ進み、2012年にシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションの話が舞い込む。そしてこれに参加し、見事合格するのだ。

シルク・ドゥ・ソレイユと男子新体操のつながり

「ザ・イモータル・ワールドツアー」で男子新体操を取り入れたシルク・ドゥ・ソレイユだが、その後「One」でも男子新体操を取り入れる。
どれだけ綺麗に見せるか、そして面白く見せるかが男子新体操のテーマと田原選手が話したように、シルク・ドゥ・ソレイユのエンターテイメント性と男子新体操がうまく共鳴しあったのだ。今では、この男子新体操の魅力が海外にも伝わり、さまざまな形でパフォーマーとして活躍する場が設けられている。

まとめ

男子新体操の海外の反応をまとめてみた。 日本発祥である男子新体操が、国内外を問わず広がりをみせている。 エンターテーメントとして、華麗なる演技として、さらなる活躍が期待できる。