初代金メダリスト、イオアニス・ミトロポウロス
イオアニス・ミトロポウロス選手は、1896年に母国ギリシャで行われた初のオリンピックで複数の協議に出場し、つり輪で金メダルを獲得することになった。
ドイツ代表のヘルマン・ヴァインゲルトナー選手と激しい優勝争いを繰り広げたのちに制するという内容だったようで、当時の人々が大いに熱狂したというのは想像に難くない。
また、平行棒団体でも銅メダルを獲得して、記念すべき初オリンピックで2つのメダルという結果を残した。
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両腕の力と華麗な技を見せる技術両面が要求されるつり輪は、体操競技の中でも大いに注目されている。 そんなつり輪の名選手たちを、ピックアップして紹介していく。
イオアニス・ミトロポウロス選手は、1896年に母国ギリシャで行われた初のオリンピックで複数の協議に出場し、つり輪で金メダルを獲得することになった。
ドイツ代表のヘルマン・ヴァインゲルトナー選手と激しい優勝争いを繰り広げたのちに制するという内容だったようで、当時の人々が大いに熱狂したというのは想像に難くない。
また、平行棒団体でも銅メダルを獲得して、記念すべき初オリンピックで2つのメダルという結果を残した。
中山彰規選手は、1968年のメキシコシティオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックのつり輪種目で連覇を果たした、日本人で最も本競技で結果を残した名選手だ。
つり輪以外の競技も得意で合計6個の金メダルを獲得したほどの存在であり、お家芸の一つとされている日本の体操界を支えた一人として今なお記憶している方もいる。
つり輪では、中山選手の名前を使用した「Nakayama」という技が残っているなど、世界中でも高い存在感を誇っているのだ。
現在の体操競技のエースと称される内村航平選手も忘れてはいけない。
あくまで得意種目はゆかであり、つり輪は個人で出場していないが、男子個人総合ではつり輪でも安定した演技を見せて金メダルにつなげている。
全て競技を個人で出場するということはさすがにできないが、もし個人つり輪に内村選手が出場していたらどれ程の点数を獲得できたのかということも気になる。
リオオリンピック以後の内村選手の動向にも目が離せない。
次に紹介するのは、リオのつり輪競技で金メダルを獲得したエレフテリオス・ペトロウニアス選手だ。
ギリシャ代表のペトロウニアス選手は、予選では2位だったものの、決勝では16.000の成績でライバルたちを引き離して自身初となる金メダルを獲得した。
ペトロウニアス選手の金メダルを獲得により、つり輪は最初のオリンピックと最新のオリンピックともにギリシャ代表の選手が勝ち取っている。
世代を越えた選手たちの躍動を感じさせる。
日本は団体や個人総合で大きな結果を残しているため忘れられがちだが、1984年に具志堅幸司選手が獲得して以来20年以上つり輪の金メダルからは遠ざかっている。
成績が悪いというよりは、有力選手がつり輪以外の競技を得意種目として集中して取り組んでいるということが大きな理由になっており、新たな金メダリスト誕生のためにはつり輪の傾注する有力選手が出てくることが条件になってくるだろう。
素晴らしい結果を残している体操界だけに、より一層の向上に期待したい。
今後つり輪で金メダルを獲得する日本代表選手が誰になるのかということも気になる。個人、団体を通して様々な体操種目で金メダルを獲得する日本代表たちも見てみたい。