「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

フィギュアスケート恩田美栄選手のこれまでの功績のまとめ

2016 9/29 01:32
恩田美栄
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Vit Kovalcik / Shutterstock.com

フィギュアスケートの恩田美栄選手にスポットをあてたいと思う。
これまでの恩田美栄選手の功績をまとめて紹介する。

恩田美栄選手の生い立ち

恩田美栄選手は愛知県名古屋市の出身だ。5歳からスケートを始めた恩田美栄選手は8歳で東海クラブに入り、全日本選手権では3年連続で2位を獲得するなどの成績を収めている。中学学校は名古屋市立千種台、それから東海女子高等学校に進学し、卒業後は東海学園大学に進学、大学を卒業後は同校の職員をしつつ競技を続けていた。
恩田美栄選手と言えば演技終了後の大きなガッツポーズが印象的ではないだろうか。恩田美栄選手の演技の特徴としては、高さのある大胆でダイナミックなジャンプを得意としていた。しかし、自身の体の固さが影響しスピンやスパイラルといった演技は苦手だったという。
現在ではスペリオール愛知FSCで新たな選手を生み出すためコーチに専念している。

恩田美栄選手のソルトレイクシティ五輪

1999年から2000年までのシーズンでは全日本選手権で4位という結果に、同じシーズンの四大陸選手権では5位の結果となった。しかし、フリースケーティングでの内容が高く評価された事により、世界フィギュア選手権代表のわずか1枠しかない座を勝ち取る事ができた。それから次のシーズンでは全日本選手権で自身初となる3位に入賞し表彰台に上がる事ができた。
同シーズンの四大陸選手権でも3位に入賞し銅メダルを獲得するなどの功績を収めている。翌シーズンではISUグランプリシリーズでは2戦連続となる2位を獲得し、GPファイナルにも初めて進出する事ができている。それと同時にソルトレイクシティ五輪代表にも内定を獲得している。ソルトレイクシティ五輪では自身の演技を大いに発揮できないままに転倒が続いてしまい総合で17位となる結果に終わってしまった。

2002年世界選手権長野大会では5位入賞の功績

2002年の長野が開催した世界選手権大会では、予選で3位のスタート切った恩田美栄選手は完璧な演技を披露する事ができた。ショートプログラムでは4位に、フリースケーティングでは、惜しくも3回転アクセルに失敗したものの、それからの演技ではミスをする事なく総合5位入賞という奮闘だった。その次のシーズンでは連続優勝を獲得したNHK杯とボフロスト杯に続きGPファイナルも決めるなど好成績を収めていた。
しかし、スケート靴を新調した恩田美栄選手はそのスケート靴が合わず足を故障してしまう事態に。なんとか回復を試みたもののよくならず出場を辞退する事となってしまった。2006年の世界選手権では荒川静香が辞退したため急遽出場が決定し、総合11位という結果だった。その後、2007年の四大陸選手権出場を最後に引退を表明した。

まとめ

これまでの恩田美栄選手の功績を紹介した。ダイナミックなジャンプを武器に持っている恩田美栄選手、世界の壁はそれよりも高いところにあったが、大いに健闘した結果を収めているのではないだろうか。
これからはコーチとして新たな日本代表選手を育ててくれる事に期待が高まる。