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氷の上の殿!織田信成の輝かしい功績

2016 9/29 01:32
織田信成
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Photo by Olga Besnard / Shutterstock.com

変顔芸などおちゃめな一面も見せてくれるプロスケーター、織田信成の魅力をお伝えしたい。
愛されお殿様の功績を紹介する。

織田信成の生い立ち?ジュニア時代?

織田信成さんは大阪府の高槻市出身、スケートを始めたのは7歳の頃だそうだ。コーチは信成さんの実母、憲子さん。元フィギュア選手でバレエ講師の経験者だ。名前は戦国武将の織田信長と一字違いで、17代目を自称、ファンからは殿の相性で親しまれている。そんな信成さんは14歳で出場した全日本フィギュアスケートジュニア選手権で4位、翌年は3位、2位と順調に順位を伸ばしていた。
2004?2005年シーズンからは練習拠点をカナダに移し、2004年の同大会で1位、2005年の世界ジュニア選手権でも優勝し、日本一だけでなく世界一に輝く。

織田信成の功績?日本男子史上3番目のGPシリーズ優勝者?

織田信成さんがシニアへ移行したのは2005?2006年のシーズンから。ISUグランプリシリーズ第6戦のスケートカナダで3位、同シリーズ第6戦の日本で開催されたNHK杯では初優勝を果たした。グランプリシリーズは国際スケート連盟が定めた6つの世界大会のことで、グランプリファイナルという決勝戦への出場資格がかかった大会だ。
この当時グランプリシリーズで優勝したことがあるのは、2001?2002年のNHK杯で優勝した本田武史さん、2005?2006年のスケートアメリカで優勝した高橋大輔さんの2名のみ。信成さんは日本男子史上3人目となる優勝者になった。

織田信成の功績?日本男子初の世界選手権3枠獲得?

そして2006年の四大会フギュアスケート選手権でも優勝した織田信成さん。この当時四大陸選手権で優勝したことがある日本男子は、2003年大会に出場した本田武史さんのみ。信成さんは日本男子史上2人目となる優勝者になった。また、シーズンの締めくくりである世界選手権では惜しくもメダルを逃したものの4位入賞、次回の世界選手権へ出場できる日本男子の人数を1人から2人へと増やした。
信成さんは高橋大輔さんと2人で臨んだ2007年世界選手権でも健闘し、次回の出場人数を3人へと増やす。この人数は日本男子シングルで初の快挙だった。

織田信成の功績?バンクーバーでのメダル獲得に尽力?

2008?2009年シーズンではNHK杯と全日本選手権で優勝、2009年の世界選手権では4回転トゥループと三回転トゥループのコンビネーションジャンプに初めて成功、7位になる。同大会6位の小塚崇彦さんと共に、2010年のバンクーバー五輪、日本男子の出場枠3を死守した。バンクーバー五輪には高橋大輔さん、小塚さんと共に出場。信成さんはフリースタイルでスケート靴の紐が切れてしまうハプニングに見舞われ、惜しくも7位だった。
本人の成績は振るわなかったが、高橋大輔選手が銅メダルを獲得した。これも信成さんが日本男子の出場枠、3を獲得したからこそ。日本男子シングルの活躍を第一線で支えたフィギュア選手の一人だった。

織田信成の引退?そして芸能界へ?

2013年12月14日、織田信成さんは現役引退を発表し男泣きする。日本フィギュア界初の引退の句は

「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」

優勝して嬉しい時も、思うような成績を残せなかった時も、そして引退の際も涙を流した信成さんらしいコメントだ。その後はフィギュア関連のコメンテーターや解説者の他、タレントとしても活躍している信成さん。
女子フィギュアの村上佳菜子さんとの変顔写真や、羽生弦選手との仲良しアピール写真をツイッターに投稿したりと、フィギュア界とお茶の間の距離をぐっと縮めてくれている。プロスケーターとしてのアイスショーでの活躍はもちろん、芸能界でのさらなる飛躍も期待している。

まとめ

フィギュアの日本男子を牽引し続けてきた織田信成さんの活躍をまとめた。これからも明るくて憎めないキャラクターで私たちを楽しませてくれることを願っている。

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