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フィギュアスケート 小塚崇彦の功績のまとめ

2016 10/4 00:52
フィギュア
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Photo by Olga Besnard/ Shutterstock.com

フィギュアスケートの小塚崇彦選手にスポットをあてたいと思う。
小塚崇彦選手が築き上げた功績をまとめて紹介する。

小塚崇彦選手のジュニア時代

小塚崇彦は5歳の時、現地で世界選手権を観戦したことがきっかけで本格的にスケーティングを始めた。始めたころは両親の指導の下で練習をしていたが、小学生のころからフィギュアスケートのコーチで有名な佐藤信夫、久美子夫妻のもとで指導を受けていた。ハイティーン前半の時は全日本ノービス選手権Bクラス2連覇、全日本ノービス選手権Aクラス2連覇を果たし、また、1999?2000に全日本ジュニア選手権に初出場にも関わらず9位入賞した。
2005?2006シーズンでは 、ISCジュニアグランプリではモントリオールで2位、2戦目のSBC杯では優勝した。ジュニアグランプリファイナルでは、日本人の男子では初となる制覇を達成した。また、全日本ジュニア選手権で優勝を納め、世界選手権では日本人3人目の優勝を成し遂げた。  

小塚崇彦選手のシニア以降のバンクーバーオリンピックまで

2006?2007のシーズンはISUグランプリシリーズ2戦目のNHK杯で総合3位となり、頭角を現し表彰台に立った。その後日本選手権で2位となり4大陸選手権を世界選手権を決め、世界選手権では総合8位となって健闘した。翌年の2009年ISUグランプリシリーズ大会での、日本男子シングル出場の3枠を確保した。2008?2009シーズンは初戦スケートアメリカではグランプリシリーズでは初優勝を収め、次のエリック杯では総合2位になり小塚選手にとっては初めてのグランプリファイナルで2位という好成績を収めた。
4大陸選手権ではフリーの演技で難易度の高い4回転トウループに挑戦するものの失敗してしまったが認定され、総合3位で銅メダルを獲得した。このシーズンでは目標に掲げていたバンクーバーオリンピックの出場枠の切符を高橋大輔選手、織田信成選手とともに手にした。バンクーバーオリンピックではフリースタイルでの演技で4回転トウループが成功し8位入賞した。

小塚崇彦選手の世界選手権、銀メダル獲得

2010?2011シーズンのグランプリシリーズでは中国杯、エリック杯で2連続優勝を果たし、ランキング1位の好成績で進出を果たすものの総合で3位になった。自身7度目の出場となる全日本では父の背中をおって優勝し男子史上初の親子制覇を成し遂げた。東日本大震災の影響でロシアのモスクワで行われた世界選手権では予選トップ通過で進み、ショートプログラムで3回転アクセルを失敗し出遅れたが、ファイナルステージでは国際大会で初めて4回転トウループを成功させるとともに、ほかのジャンプも綺麗にこなし完璧な演技を見せた。演技要素が高い評価を得てファイナルステージ2位となり総合で史上4人目となるメダリストになった。
2011?2012シーズンはグランプリシリーズで好成績で通過したが、グランプリファイナルに出場はできなかった。また、連覇のかかった全日本選手権では、ショートプログラムで回避した4回転トウループをファイナルステージでクリーンに決めたが、後半の転倒が響き優勝を逃がした。世界選手権ではシュートプログラム、ファイナルステージで4回転トウループに失敗しメダル獲得はできなかった。
2012?2013シーズンでは、グランプリシリーズは初戦の大会となるスケートアメリカでは優勝を果たし、2戦目のロステレコム杯で2位に位置して健闘した。しかし通算3度目のグランプリファイナルでは5位と不調に終わってしまった。その後、右足のけがによって全治1か月と診断されたが、ガルデナスプリング杯で優勝を果たし完璧な復帰をした。

小塚崇彦選手の現役引退後

2016年自身のブログで2015年に行われた世界選手権を最後に今シーズンで現役引退を表明した。現役引退後は所属先であるトヨタ自動車で従業員として活躍するそうだ。2016年の4月に行われた、「スターズ・オン・アイス」の東京公演でラストダンスを披露し、ファンに惜しまれながら引退をした。
6月には愛知県でフジテレビでアナウンサーとして活躍している大島由香里さんと結婚し、結婚披露宴が地元愛知で行われた。

まとめ

高橋大輔選手や織田信成選手とともに、日本男子フィギュア界けん引してきた小塚崇彦選手。私たちに多くの感動を与えてくれた。

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