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イナバウアーで金メダル!荒川静香の輝かしい功績

2016 9/29 01:32
トリノオリンピック 金メダル 画像番号:174130193
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Photo by Paolo Bona / Shutterstock.com

金メダリスト、荒川静香さんの日本代表選手としての活躍やフィギュア界へもたらした影響について紹介する。

荒川静香選手の生い立ちとジュニア時代

荒川静香さんは1981年東京生まれ、1歳頃まで神奈川県の鎌倉市に住んでいた。名前の由来は平安?鎌倉時代の女性、静御前だそうだ。その後サラリーマンだった父親の転勤で、宮城県仙台市に引っ越す。スケートとの出会いは幼少期で、フィギュアの練習をするようになったのは小学生になってから。小学3年生で3回転のジャンプを飛べるようになったそうだ。
中学1年から3年までは全日本ジュニア選手権で三回連続優勝し、フィギュアスケートの強豪である東北高校に入学する。こういった経歴なので、東京生まれでありながら宮城県(仙台市)出身と紹介されることが多いようだ。

荒川静香選手のシニア時代?トリノ前の不調

荒川静香さんは中学時代のジュニア経験を経て、高校生だった1997年にシニアへ移行する。ジュニアには13?18歳まで所属できるのだが、ジュニア大会で連続優勝したため、15歳でデビューした。浅田真央選手も15歳でシニアに移行している。
その後シニア1年目でライバルである村主章枝さんを抑え、全日本選手権で優勝し、長野五輪と世界選手権の日本代表になった。初出場のオリンピックは13位と振るわず、翌年の世界選手権は落選。早稲田大学に入学し、在学中は冬季アジア大会や世界選手権で金メダルの活躍を見せたが、ソルトレイク五輪では日本代表になれないなど、我慢の時期が続いた。

トリノ五輪で魅せたイナバウアーと輝かしい功績

ケガや不調も重なり思うような活躍ができず、一時期は大学卒業と同時に競技人生を引退しプロに転向しようと考えていた荒川さん。卒業後もシニアで頑張り続けたが、不調は続き、トリノ五輪の代表になれなかったら引退するつもりでいたそうだ。トリノ五輪で8年ぶりの日本代表に選出されたが、その頃の女子フィギュアといえば安藤美姫さんや村主選手が大活躍していたため、荒川選手は3番手のイメージだった。
ところが、五輪の女子シングルスのショートプログラムでほとんどミスのない完璧な滑りを見せ日本人最高の3位につける。続くフリーでもほぼ完璧な演技で、合計得点は191.34、自己ベストで優勝した。五輪ではアジアの選手で初めての金、そして同大会のフィギュア日本人選手団で唯一のメダル獲得者だった。たった2日間で荒川選手は一躍時の人となり、演技中に取り入れたイナバウアーは2006年の流行語大賞にもなった。

プロスケーターや解説者として、引退後も続く荒川静香さんの活躍

トリノ五輪後の2006年5月、荒川静香さんは会見を開き、現役の引退とプロへの転向を表明した。翌日にはアイスショー「フレンズ・オン・アイス」を開催、プロスケーターとして自身も出演しながらプロデューサーとしても活躍をはじめる。2016年には10周年を迎えるこのアイスショーは、荒川さんの意向で子どもスケーターの出演や、若手スケーターの出演を公募するなど、未来の日本人選手の育成に力を入れていることが特徴だ。
その他主要アイスショーに出演し、シーズン中はフィギュアスケートの解説者としてTVでも活躍している。プライベートでは2013年に結婚、2014年11月には長女を出産し、ママとフィギュア解説員とアイスショーのプロデューサー、日本スケート連盟副会長といういくつもの顔で活躍中だ。

まとめ

トリノ五輪の金メダルで一躍有名になった荒川静香さん。その過去にはジュニアや日本選手権での優勝など、ひたむきでたしかな努力があった。
妊娠後アイスショーへの出演は辞退しているそうだが、現在も解説員や日本スケート連盟の役員としてフィギュアに関わっている彼女だ。今後も選手の育成などで大活躍してくれそうだ。

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