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どこまで伸びるのか!フィギュアスケートの貴公子羽生結弦選手の実績

2018 3/1 15:56hiiragi
羽生結弦
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ジュニア世代から世界をリード

羽生結弦選手は1994年12月生まれの宮城県出身。フィギュアスケートは4歳の頃より始め、2004年には全日本ノービス選手権※ に出場してノービスBで優勝を飾った。
2005年はノービスBで日野龍樹選手に次ぐ2位、2006年はノービスAで日野龍樹選手、田中刑事選手に次ぐ3位に終わっている。ノービス時代はこの3人の力が拮抗していたようだ。

しかし、最後のノービス年齢となった2007年の全日本ノービス選手権を、1位羽生選手、2位田中選手、3位日野選手の順で終える。2008年の全日本ジュニア選手権では町田樹選手や村上大介選手などの先輩を抑え、優勝。
このシーズンは全日本選手権に初めて出場して8位、世界ジュニア選手権は12位という結果だった。

2009年は、才能が一気に花開いた。ジュニアグランプリは、トルンカップ(ポーランド)とクロアチアカップに出場し、いずれも優勝に輝く。
東京で開催されたジュニアグランプリファイナルでも、初出場で初優勝の快挙を成し遂げた。勢いは更に続き、全日本ジュニア選手権優勝、世界ジュニア選手権優勝と、ジュニア世代のタイトルを総なめにして頂点を極め、翌2010-2011シーズンからはシニアに転向する。

※ノービスとは、ジュニアより下の世代で主に小学生。スケートシーズンが始まる7月1日以前の学年と級によってAとBに分かれる。

厚かったシニア有力選手の壁

シニアデビューとなった2010-2011シーズンは、グランプリシリーズのNHK杯で4位、ロステレコムカップ(ロシア)で7位、全日本選手権は4位だった。この年の全日本選手権は、優勝が小塚崇彦選手、2位が織田信成選手、3位が高橋大輔選手。
2010年バンクーバーオリンピックの出場選手が表彰台を占め、格の違いを見せつけられる結果となった。

グランプリシリーズの初優勝は、2011-2012シーズンに果たす。カップオブチャイナは4位だったが、昨年に続き出場したロステレコムカップで初優勝に輝く。グランプリファイナルにも初出場を果たしたが、4位に終わった。
優勝は前シーズン世界選手権覇者、カナダのパトリック・チャン選手、2位は高橋選手、3位はスペインの新鋭ハビエル・フェルナンデス選手と、いつかは超えなければいけない選手が立ちふさがった。

このシーズンに世界選手権への初出場も果たし、2011年の全日本選手権は高橋選手、小塚選手に次ぐ3位に入り、2012年世界選手権への出場切符を手に入れる。その世界選手権では、パトリック・チャン選手、高橋選手に次ぎ3位だった。

2012-2013シーズンはNHK杯に優勝、グランプリファイナルでは、高橋選手に次ぐ2位。全日本選手権では高橋選手を抑え初優勝を果たし、2013-2014シーズンにはソチオリンピックを迎えることになる。

オリンピック金メダル後にも進化を続ける発展途上人

2013-2014シーズンは、グランプリシリーズのスケートカナダ、トロフィー・ボンパール(フランス)を2位で通過。グランプリファイナルではパトリック・チャン選手を抑えて初優勝を飾る。
全日本選手権では2連覇を達成し、ソチオリンピック代表に選ばれた。2014年ソチオリンピックで金メダルを獲得すると、その後に行われた世界選手権でも初優勝に輝き、世界の頂点を極める。

しかしこれは、羽生選手にとって、ほんのスタート地点でしかなかった。
2015年のNHK杯でSP、FS共に歴代最高得点を更新すると、総合点で世界初となる300点超えを達成したのだ。グランプリファイナルでは、この記録をすべて塗り替える最高得点で3連覇。

さらに2016年には4連覇を達成し、2017年には世界選手権で2勝目を飾り、迎えた2018年平昌オリンピックでは見事2連覇を達成したのだ。
羽生選手の進化は、とどまるところを知らない。さらなる高みへ、まだまだ発展途上にいるのだろう。