無敗で世界バンタム級王座奪取
具志堅用高の持つ世界王座13度防衛の日本記録に最も迫ったのが山中慎介だった。初めて世界タイトルに挑戦したのが平成23年(2011年)。エスキベル(メキシコ)との決定戦を11回TKOで制し、無敗のまま世界の頂点に立った。その後、6年近く続く長期防衛ロードの幕開けだった。
山中の武器は切れ味抜群の左ストレート。ノーモーションで真っすぐに伸びる左が相手の顎に当たれば、立っていられる選手は少なかった。「ゴッドレフト(神の左)」と呼ばれた最大の武器で世界の強豪を倒しまくった。
初防衛戦こそ判定勝利だったが、2度目の防衛戦から5連続KO防衛。9度目の防衛戦では、WBAバンタム級王座を12度防衛してスーパー王者にも認定された実績のあるモレノ(パナマ)に苦戦し、2-1で辛くも判定勝利を収めたが、再戦となった11度目の防衛戦では7回で倒して、きっちりとけりをつけた。
見えてきた具志堅の金字塔
山中より先に長期防衛を続けていたWBA世界スーパーフェザー級王者の内山高志が12度目の防衛戦で敗れたのが平成28年4月。以降、具志堅の持つ防衛記録更新への期待は、必然的に山中に移った。
迎えた平成29年3月、カールソン(メキシコ)との12度目の防衛戦。山中がクリーンヒットをもらうシーンもあったが、7回TKOで試合を終わらせ、ついに具志堅の日本記録に王手をかけた。
ただ、大学を卒業してからプロ入りした山中は当時35歳。この頃は打たれ脆さを露呈するシーンも多く、下り坂に差し掛かっていた。
まさかのTKO負けで陥落
13度目の防衛戦は高校時代を過ごした京都で、ネリ(メキシコ)を迎えて行われた。具志堅の記録に並ぶと信じて疑わないファンの前で山中は滅多打ちされ、まさかの4回TKO負け。一度もダウンしていないのに、セコンドがタオルを投げ入れて棄権したため物議を醸したが、その後さらに衝撃のニュースが流れる。
なんとネリのドーピング検査で陽性反応が出たというのだ。しかし、その後の検査で故意の摂取なのか、汚染された食品による摂取なのか判別できないため、WBCは両者に再戦を指示した。不本意な形で防衛記録を閉ざされた山中は雪辱に燃え、翌年3月の再戦に臨んだ。
しかし、今度はネリが前日軽量で体重超過。試合前に王座剥奪となった。この日のために調整してきた山中は、ボクサーとしてあるまじきネリの失態に「ふざけるな」と怒りを露わにした。ネリが勝つか引き分ければ王座は空位のまま、山中が勝てば王座返り咲きとなる一戦で、山中は雪辱ならず2回TKO負け。そのままグローブを吊るした。