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平成29年 村田諒太、五輪金から日本初の世界王者【平成スポーツハイライト】

2018 12/31 07:00SPAIA編集部
村田諒太,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

48年ぶり五輪ボクシング金メダル

平成24年(2012年)に行われたロンドン五輪。ボクシングのミドル級に出場した村田諒太は決勝でブラジル選手を破り、金メダルを獲得した。日本選手が五輪のボクシング競技で金メダルに輝いたのは、東京五輪バンタム級で優勝した桜井孝雄以来48年ぶりだった。

海外では五輪で金メダルを獲ってプロ転向し、世界王者になるというサクセスストーリーは枚挙に暇がない。しかし、日本ではそもそも五輪のボクシングでメダルを獲得した選手が少なく、プロ転向後に世界の頂点に立った選手は皆無だった。

先述の桜井は東京五輪後にプロ転向し、世界バンタム級王座に挑戦したものの判定で敗れた。他にもローマ五輪でフライ級銅メダルに輝いた田辺清、メキシコ五輪でバンタム級銅メダルを獲得した森岡英治もプロ転向したが、いずれも世界には届かなかった。村田にはそんな歴代メダリストやボクシング関係者の期待がかかっていた。

世界初挑戦は不可解な判定負け

村田のプロ転向を巡っては、日本アマチュアボクシング連盟からアマとしての引退勧告を受けるなど紆余曲折があったが、平成25年(2013年)4月、晴れてプロ転向を表明した。同年8月のプロデビュー戦はいきなり東洋太平洋ミドル級王者の柴田明雄と対戦。わずか2回で倒し、金メダリストのパワーを見せつけた。

その後も世界ランカーらとの対戦で勝利を重ね、12戦全勝(9KO)で世界初挑戦のチャンスをつかむ。平成29年5月、アッサン・エンダム(フランス)とのWBA世界ミドル級王座決定戦では4回に村田がダウンを奪うなど試合を優位に進めたかに見られたが、結果は2-1の判定でエンダムの勝利。しかし、この採点を問題視したWBAが再戦を指示し、エンダムの勝利としたジャッジ2人を6カ月の資格停止処分にするという後味の悪い試合になった。

エンダムに雪辱してプロでも頂点に

平成29年(2017年)10月のリターンマッチ。村田は今度こそ白黒つけると序盤からプレッシャーをかけ続けると、7回終了後にエンダムがギブアップ。ついに世界王者のベルトを奪い、リング上で涙をこぼした。

ロンドン五輪から5年。ついにアマとプロの両方で世界の頂点に立った。ミドル級では竹原慎二以来2人目のベルトという快挙でもあった。

平成30年10月、ラスベガスで行われた2度目の防衛戦で、ブラント(米国)に一方的に打たれて判定負けし、約1年で世界王座から陥落したが、12月4日に再起を表明。ブラントとのリターンマッチに向けて練習を続けている。