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日本ボクシング界の英雄・八重樫東の功績をチェックしよう!

2017 1/30 21:11
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出典: takushoku-alumni.jp

世界チャンピオンを続々と輩出し、日本ボクシング界は過去に例を見ないほど「最盛期」を迎えている。 日本ボクシング界が誇る期待の星である八重樫東が残してきた功績にスポットを当てる。

【八重樫東の功績1】アマチュア戦績56勝の猛者がプロ入り

1983年に岩手県北上市で生まれた八重樫東。黒沢尻工業高校でボクシング部に入部し、高校2年時にインターハイ・モスキート級で優勝を経験。その後、ボクシングの名門である拓殖大学に進学すると国体ライトフライ級で優勝を果たす。
アマチュアでの通算戦績は70戦56勝(15KO)、立派な実績を持って大学を卒業した後、2005年に大橋ボクシングジムに入門。プロテストにも合格し、過去にも世界チャンプを輩出してきた猛者が集うジムでプロボクサーとしてのキャリアをスタートさせた。

【八重樫東の功績2】2度目の世界挑戦で掴んだ世界王者の称号

プロデビューから7戦目で初めて世界挑戦のチャンスをつかんだ八重樫東。対するはWBC世界ミニマム級王者のイーグル京和。上々の立ち上がりを見せるも、2ラウンドに受けたバッティングから顎を2箇所骨折してしまい、0-3の判定負けを喫してしまう。
1年近くのブランクを経て復帰した後は、ノンタイトルマッチを経て日本ミニマム級王座を獲得。その後3度の防衛を経た2011年10月、再び世界王座に挑戦する舞台に上がることになった。対するはWBA世界ミニマム級王者のポンサワン・ポープラムック(タイ)。
序盤から果敢に攻めていく八重樫に、タフネスが売りの王者も後退を繰り返し、八重樫優位のままで迎えた10ラウンドに勝負を決めるパンチを放ちTKO勝ち。イーグル共和戦から4年の月日を経て世界チャンピオンに登りつめた。

【八重樫東の功績3】日本初の王座統一戦で繰り広げた井岡一翔との激闘

戴冠後初の防衛戦は2012年6月20日、WBC同級王者である井岡一翔との対戦だった。日本人同士が日本国内で王座統一戦を行うのは史上初ということで話題をさらった。
ポープラムック戦と同じく序盤から攻め続けて井岡を追い詰めようとするものの、反撃に転じた井岡のパンチにより、1ラウンドに左目、3ラウンド右目を腫らすアクシデントに見舞われる。ドクターストップを避けるために一気に勝負を仕掛けたが、井岡がうまくかわし、有効打を的確に放っていった。 両目の視界を奪われる苦しい状況にもかかわらず、八重樫は中盤以降もほぼ互角の戦いを続けたが、12ラウンドを終えて3-0の判定負け。
しかしながら、採点はいずれも僅差で、「激闘王」の名にふさわしい戦いを見せた。

【八重樫東の功績4】ローマン・ゴンサレスへの挑戦

井岡一翔に敗れて王座を失った八重樫は、フライ級に階級を変更。2013年4月にWBCフライ級王者・五十嵐俊幸に挑戦する。KOは奪えなかったものの、大差で判定勝ちを収め、同級王者となり2階級制覇を達成。
強力なメキシコ勢を相手に3度の防衛に成功した2014年9月、ついにWBAスーパー王者に認定されたこともあるローマン・ゴンサレス(ニカラグア)との対戦が実現す。日本中の注目を集めたが、通称「ロマゴン」との実力差は想像以上に大きく、食い下がったものの、9ラウンド2分24秒TKO負け。キャリア初のKO負けを喫することに。4度目の防衛に失敗し、王座から陥落してしまう。

【八重樫東の功績5】IBF世界王者となり、3階級制覇を達成

再起を期して行われたのが、2014年12月のWBC世界ライトフライ級王座決定戦。同級1位のペドロ・ゲバラ(メキシコ)と対戦した。2ラウンドに右ストレートを放ち、ゲバラの視界を奪ってフットワークを鈍らせるも、その後8ラウンドで受けたパンチがクリーンヒットし、またしてもKO負けを喫することになった。
プロキャリア初の連敗となるも、2015年には現役続行を決意、ノンタイトルマッチ2試合を経て、同年12月にIBF世界ライトフライ級王者であるハビエル・メンドーサ(メキシコ)に挑戦した。最終ラウンドまで激しい打ち合いを繰り広げ、3-0で判定勝ちを収めた八重樫東は、念願の3階級制覇を達成したのだ。

まとめ

WBC、WBA、IBFと異なる団体でのチャンピオンベルトを獲得した八重樫東。 キャリア円熟期を迎えたが、2016年5月の防衛戦でも白星を飾り、勝利への渇望は途切れることを知らない。 残された時間を使ってさらなる飛躍を目指す彼の、今後の活躍に期待したいところだ。

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