【内山高志の功績1】社会人ボクサーとして国体3連覇
長崎県で生まれ埼玉県で育った内山高志。ボクシングとの出会いは高校生の頃。辰吉丈一郎に憧れ、花咲徳栄高校に進学してボクシング部に入部したことがきっかけだった。ゼロからのスタートながら持ち前の運動神経でめきめきと実力をつけ、高校3年生で初めてインターハイに出場。ベスト8進出という成績を残す。
ボクシングの名門・拓殖大学を経て、一般企業で働きながらアマチュアの大会に出場する社会人ボクサーとして活動。国体優勝や全日本選手権3連覇など、向かう所敵なしの成績を収めるも、目標としてきたアテネオリンピック出場を逃してしまう。一度は引退を決意するが、周囲の説得もありプロ転向を決意する。
【内山高志の功績2】14戦無敗で世界の頂点に
アマチュアでの十分な実績を引きさげて、2005年7月にプロデビュー。6回戦に出場して1ラウンドTKO勝ち、プロキャリアの第一歩を見事白星で飾る。その後も勝ち星を積み重ね、2007年9月にプロ8戦目でOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦に挑戦。ナデル・フセイン(オーストラリア)を下し同級王座に就くと、2年間で合わせて5度の王座防衛を果たす。
満を持して世界王座への挑戦を決め、2010年1月にWBA世界スーパーフェザー級王者であるファン・カルロス・サルガド(メキシコ)と対戦。序盤からジャブを中心とした攻撃でボディを攻め、中盤までに試合のペースを完全に掌握すると、最終ラウンドにダウンを2度奪ってKO勝ち。デビューから14戦無敗で世界の頂点に立った。
【内山高志の功績3】世界戦で5戦連続KO勝ちの金字塔を打ち立てる
2010年のうちに、アンヘル・グラナドス(ベネズエラ)、ロイ・ムクリス(インドネシア)を相手に防衛戦に臨んだ内山。それぞれ6ラウンド、8ラウンドでTKO勝ちを収める。続く2011年の初戦も三浦隆司を相手に、右拳を負傷しながらもTKO勝ち。誰が呼んだか「ノックアウト・ダイナマイト」。これまでキャリア無敗、2008年からのおよそ3年間すべてノックアウト勝ちという成績にふさわしいニックネームがついた。
右手の故障から回復した12月、内山は同階級暫定王者だったホルヘ・ソリス(メキシコ)との王座統一戦に臨む。自分のペースで試合を進めつつも、大ぶりの一発を狙わず相手の体力を奪うと、終盤11ラウンドに左フックが炸裂。そのままTKO勝ちを奪って王座統一&防衛に成功するだけでなく、世界戦での連続KO記録を5に伸ばした。
【内山高志】年間KO賞を受賞&スーパー王者に認定
2012年、KO記録を伸ばす内山高志に対し、WBAは2011年の年間KO賞を授与することを決定。同年3月、本部のあるパナマで表彰式を行った。日本人の年間KO賞受賞は日本のボクシング史上初であり、高山のボクシングが世界に認められた瞬間でもあった。
この年の12月には、暫定王者のブライアン・バスケス(コスタリカ)を相手にキャリア2度目となる王座統一戦に臨む。向かう所敵なしの内山はこの試合でもTKO勝ちを収め、6度目のタイトル防衛をあっさりと決めてしまう。以降、2015年までにタイトルを防衛した回数は9回を数え、防衛戦のうち7試合でKO勝ちを収めた実績を評価された内山は、WBAからスーパー王者に認定されたのだった。
【内山高志の功績5】年齢を感じさせない老獪な戦いぶりは高評価
2016年4月、通算12度目の防衛戦でジェスレル・コレル(パナマ)と対戦するも、2ラウンドでダウンを3度奪われ敗戦。6年以上守り続けた王座から陥落してしまう。しかし、11月で37歳を迎えるという事実を考慮すれば、11度のタイトル防衛は日本ボクシングの歴史に名を刻まれるべき栄誉であることに変わりない。
ただのハードパンチャーではなく冷静な試合運びは世界中が認めるところ。年齢的にも再挑戦へのチャンスは限られてはいるが、多くのボクシングファンが「ノックアウト・ダイナマイト」の再起を期待している。
まとめ
大学卒業後はサラリーマンとして働きながらプロボクサーに転身するという意外なキャリアを持つ内山高志。
過去に栄光をつかんできたボクサーたちと比較すれば遅咲きだったのかもしれないが、長きにわたって世界の頂点に立ち続けてきた。
若さと勢いを凌駕するのは、年長者らしく老獪な試合運びとKO必至の必殺パンチだった。
まさかの王座陥落から約半年、もう一度リングに上がるその時を多くのボクシングファンが待ち続けている。