【田中恒成の功績1】ジムと自宅2階で父との練習に明け暮れた少年時代
1995年、岐阜県多治見市で生まれた田中恒成。幼い頃は空手に打ち込んでいたが、小学5年生の頃にボクシングと出会う。空手の打撃強化につながればという目的で、兄と一緒に地元のボクシングジムに通い始めたという。
武道に精通していた父・斉(ひとし)さんの協力もあり、自宅2階は兄弟2人の練習場に改造。サンドバックを設置したり、一緒にビデオを活用してフォームチェックをするうちに、恒成自身も徐々にボクシングにのめり込んでいった。
Ⓒゲッティイメージズ
平成生まれのプロボクサー・田中恒成。 これからの日本ボクシング界を背負うと期待される若手の星の功績を振り返る。
1995年、岐阜県多治見市で生まれた田中恒成。幼い頃は空手に打ち込んでいたが、小学5年生の頃にボクシングと出会う。空手の打撃強化につながればという目的で、兄と一緒に地元のボクシングジムに通い始めたという。
武道に精通していた父・斉(ひとし)さんの協力もあり、自宅2階は兄弟2人の練習場に改造。サンドバックを設置したり、一緒にビデオを活用してフォームチェックをするうちに、恒成自身も徐々にボクシングにのめり込んでいった。
ジムのトレーナーになった斉さんと二人三脚で実力を磨き、高校は元東洋太平洋スーパーフライ級王者・石原英康が監督を務める中京高校ボクシング部に進む。斉さんと石原氏は旧知の仲で、3年間みっちりとトレーニングに打ち込める環境だった。
田中恒成本人の実力は入学当初から折り紙つきで、1年生にして国体優勝、2年時はインターハイ・国体・選抜の主要3大会すべてで優勝を飾る。
2013年、最後のインターハイを3位で終えた後、田中はSOUL BOX畑中ジムに入門。同年9月にプロテストB級に合格する。高校在学中にプロになっただけでなく、学校で記者会見を行い、プロボクサーとしては異例の第一歩を踏み出した。
翌月にはWBOミニマム級6位の選手を相手にデビュー戦を戦い、3-0の判定勝ちを収める。1ラウンドでダウンを奪うなど内容でも圧倒し、そのポテンシャルを見せつけて日本ボクシング界に衝撃を与えた。
その後、中京大学に進学。プロ2戦目、3戦目も白星で飾り、4戦目でOPBFミニマム級王者・原隆二に挑戦、10回TKOで東洋太平洋王座を獲得した。
そして5戦目で早くも世界挑戦のチャンスをつかむ。2015年5月30日、フリアン・イェドラス(メキシコ)とWBOミニマム級王座決定戦を行い、見事に3-0の判定勝ち。デビューわずか5試合での世界王座獲得は日本ボクシング史上最速で、19歳の若者が成し遂げた偉業に多くのボクシングファンが驚きを隠せなかった。
2015年の年末に行われた防衛戦。田中恒成はWBOミニマム級4位のビック・サルダール(フィリピン)と対戦する。6回KO勝ちでタイトル防衛を決めると、試合後のインタビューで次なるターゲットを「2階級制覇」と高らかに宣言。すぐにミニマム級のチャンピオンベルトを返上した。
2016年大晦日にはWBOライトフライ級王座決定戦でモイセス・フェンテスを倒して宣言通り2階級制覇。2度防衛後、2018年9月にはWBOフライ級王者・木村翔との激闘を制してロマチェンコと並ぶ世界最速タイの12戦目で3階級制覇を達成した。
2019年3月には元統一ライトフライ級王者・田口良一との因縁の対決に勝ち、初防衛に成功した田口。デビュー当初は「中京の怪物」と呼ばれたが、今では全国区の知名度を誇る「日本の怪物」だ。いずれ「世界の怪物」と呼ばれる日まで、令和になっても全勝街道を突っ走る。