【山中慎介の功績1】大学までアマチュアの有望選手として実績を重ねる
滋賀県湖南市で生まれ育った山中慎介。ボクシングと出会ったのは意外と遅く、高校生の頃だった。辰吉丈一郎に憧れて南京都高校ボクシング部に入部。小中と野球をやっていたが、持ち前のアスリートとしてのセンスのおかげで、めきめきと実力をつけていき、あっという間に全国レベルの選手に成長。インターハイでは後にWBA世界スーパーバンタム級王者となる粟生隆寛を下して優勝を飾る。
その後、アマチュア界の名門・専修大学に進学してボクシングを続ける。ターニングポイントとなったのは、主将として挑んだ大学4年時の国体での敗戦。不本意な出来に終わったことをきっかけにプロ入りを決意する。
【山中慎介の功績2】帝拳ジム入門から世界王座獲得までの道のり
大学卒業後に名門・帝拳ジムの門を叩いた山中慎介。2006年に早速プロデビュー戦に臨み白星を飾ると、その後2つの引き分けを挟んで11連勝と順調な滑り出しを見せる。2010年6月に日本バンタム級王座に挑戦、7回TKOで安田幹男を下し見事日本一に輝いた。
世界王座への挑戦はその翌年11月、空位となっていたWBC世界バンタム級王座決定戦に挑む。同級2位のクリスチャン・エスキベル(メキシコ)を相手に壮絶な打ち合いを繰り広げ、11ラウンドTKOで念願のチャンピオンベルトを獲得した。プロデビューから負け知らずのまま世界の頂点にたどり着いたのだった。
【山中慎介の功績3】元2階級王者を翻弄し続けた初の防衛戦
WBC世界バンタム級王者となった山中慎介の初防衛戦は、2012年4月に行われたビック・ダルチニャン(オーストラリア)との一戦だった。変幻自在のフットワークを生かしながら前に出る強気なファイターで、破壊力抜群の大振りパンチを兼ね備えたことから「レイジング・ブル(怒れる雄牛)」の異名をとったボクサーだ。
初防衛戦にしてはハードルが高いのではと囁かれたが、蓋を開けてみれば接近戦を仕掛けるダルチニャンを山中がアウトボクシングで翻弄。終始あらゆるパンチを空転させ続けて判定勝ちでタイトル初防衛を決めた。連続KO記録は途切れたが、王者としての風格を漂わせるのに十分な戦いぶりで、ボクシングファンの注目が上がる一戦となった。
【山中慎介の功績4】5試合連続KOで防衛、「神の左」に世界が注目
ダルチニャンとの一戦でその名を世界に轟かせた山中慎介。ここからの2年で5試合連続KO勝ちとタイトル防衛を果たす。圧巻だったのは2013年のホセ・ニエベス(プエルトリコ)との一戦。わずか1ラウンド2分40秒でKO勝ちを収めたのだ。
ニエベスをはじめ多くの挑戦者をマットに沈めてきたスピードある左ストレートはまさに神出鬼没で、いつしか「神の左」と呼ばれるようになった。顔面、ボディー、どこに当ててもダウンを奪え、確実に相手の体力を奪い敗戦に追い込んでいく必殺パンチは、すべての対戦相手に一発KOの恐怖を植え付けている。
【山中慎介の功績5】現在、防衛回数11回&5年間王座に君臨
2014年11月のスリヤン・ソー・ルンヴィサイ(タイ)との一戦。ガードを固めて戦う相手に攻めあぐねる。終盤に畳み掛け3回のダウンを奪ったが、そのまま最終ラウンドまでKOには至らず。判定勝ちでタイトル防衛となったため、連続KOでの防衛記録は「5」でストップする形になった。
また、2016年3月のリボリオ・ソリス(ベネズエラ)との一戦では、序盤に2度のダウンを奪われながら終盤まで粘り、なんとかタイトル防衛に成功するという際どい一戦も経験。その後も「神の左」を武器に勝ち続け、今もなおWBC世界バンタム級王座に君臨し続けている。「打倒山中」を目指す声は世界各地で上がっており、タイトル統一戦を戦う日も近いとされている。
まとめ
連続防衛回数が10回を超え、日本人としては歴代2位となった山中慎介。近年の日本ボクシング界黄金時代を支えるボクサーの一人だ。
若手の台頭もありながら、神の左を武器に戦う33歳は、今日もボクシング界の第一線に立ち続けている。
今後の活躍に注目したいところだ。