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井上尚弥vsルイス・ネリ実現か、過去の東京ドームでのボクシング興行は?

2024 1/27 11:00SPAIA編集部
井上尚弥とルイス・ネリ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

1988年3月21日、タイソンvsタッブス

プロボクシングの世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥(30=大橋)が、WBC同級1位ルイス・ネリ(29=メキシコ)と5月6日に東京ドームで対戦することに合意したと米スポーツ専門局ESPN電子版が報じた。

東京ドームでのボクシング興行が実現すれば34年ぶり3回目。改めて過去2回のビッグマッチを振り返ってみたい。

後楽園球場に代わる巨人の本拠地として、日本初の屋根付き球場が開場したのが1988年3月18日。当時は「BIG EGG(ビッグエッグ)」という愛称で呼ばれ、同日には巨人-阪神のオープン戦と前年に引退した江川卓のサヨナラ登板式が行われた。

3日後の3月21日にこけら落とし興行として行われたのが、ボクシングの統一世界ヘビー級タイトルマッチ、マイク・タイソン対トニー・タッブス戦だ。

タイソンは1986年11月、ヘビー級史上最年少の20歳5カ月でWBCヘビー級王座を獲得。WBA、IBF王座も吸収し、3団体統一ヘビー級王者として君臨していた。

初来日した当時21歳の若き王者はWBC6度目、WBA5度目、IBF3度目の防衛戦。対するタッブスはアマチュアで240勝13敗の戦績を残してプロ転向し、WBAヘビー級王座に就いたこともある30歳の巨漢ボクサーだった。

第1ラウンド、距離を詰めるタイソンが左フックを好打してタッブスをぐらつかせる。東京ドームを埋めた5万人は、日本では観ることのないヘビー級のド迫力に息を呑んだ。

第2ラウンド、フィナーレは唐突に訪れる。タイソン得意の右ボディーフックからアッパーを顔面に返すコンビネーションが決まると、タッブスは足元がおぼつかない。さらにタイソンが左フックをテンプルにヒットすると、身長193センチの大男がよろめきながらダウン。タッブスを心配したセコンドがリングに入ったためレフェリーが試合を止めた。

2回2分54秒TKO。リングサイド10万円の高額チケットが話題になったが、濃密な354秒は決して「高い」と思わせなかっただろう。それくらい衝撃的なタイソンの日本デビューだった。

ちなみにこの日のアンダーカードで行われたのが、坂本孝雄と吉野弘幸が戦った日本ウェルター級タイトルマッチ。当時無名だった挑戦者・吉野が強打の王者・坂本に4回KO勝ちした。その後、同王座を14度防衛して世界にも挑んだ吉野の出世試合だった。

1990年2月11日、タイソンvsダグラス

2回目が1990年2月11日に行われたタイソンのWBC10度目、WBA9度目、IBF7度目の防衛戦。ジェームス・ダグラスを迎えた当時のタイソンは2年前の初来日の時とは別人だった。

タイソンを手塩にかけて育てた名トレーナーのカス・ダマトが死去し、悪名高きプロモーターのドン・キングと契約したタイソンは、トレーナーのケビン・ルーニーやマネージャーのビル・ケイトンを解雇し、キングの息のかかったスタッフを迎え入れた。

お目付け役がいなくなった世間知らずの無敵王者は、離婚騒動や放蕩生活など私生活が乱れ、練習にも身が入らない。ダグラスの前評判は高くなかったため、掛け率は42対1でタイソン勝利を支持するなど圧倒的有利と見られていたが、来日後のスパーリングでダウンを喫するなど明らかに本調子ではなかった。

第1ラウンドから、それまでなら受けるはずのなかったパンチを浴び続け、タイソンの目はいつの間にか腫れ上がる。第8ラウンド終了間際に起死回生の右アッパーを決めてダウンを奪うが、ダグラスは辛くも立ち上がり、ゴングに救われた。

迎えた第10ラウンド、ダグラスの連打を浴びたタイソンは背中からダウン。吐き出したマウスピースをくわえながら立ち上がろうとするが、無情の10カウントが東京ドームに響き渡った。

誰もが目を疑った世紀の大番狂わせ。リング上で狂喜乱舞のダグラス陣営をよそに、ドームを埋めた観衆はどよめくだけだった。

この日の前座では辰吉丈一郎がプロ2戦目のリングに上がり、タイのチャーチュード・エウアンサンパンをボディーで沈めて2回KO。「逆転の貴公子」と呼ばれた高橋ナオトはノーリー・ジョッキージムとの再戦で6度のダウンを喫して10回判定負けだった。

大阪ドームでは辰吉vsウィラポン

辰吉丈一郎は東京ドームだけでなく、大阪ドーム(現京セラドーム大阪)でも試合を行ったことがある。1999年8月29日、前年にWBCバンタム級王座を明け渡したウィラポン・ナコンルアンプロモーションとの再戦だった。

試合はウィラポンの一方的な展開となり、第7ラウンド、王者の強烈な右ストレートがクリーンヒットしたところでレフェリーが試合を止めると、辰吉は気持ちが切れたように後ろ向けに倒れそうになり、レフェリーに抱きかかえられた。

試合後に辰吉は引退を表明(後に撤回して再起)。1990代の日本ボクシング界を牽引し、一時代を築いた「浪速のジョー」のキャリアの中でも最も痛烈な試合だった。

言うまでもなく、ドームでリングに上がるのは、ほんの一握りのスーパースターだけだ。井上尚弥の試合が実現すれば、歴史的スーパーファイトになることは間違いない。

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