「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

パリ五輪決めた!バスケットボール男子日本代表の五輪成績、世界の壁に阻まれ続けた苦闘の歴史

2023 9/2 21:54田村崇仁
渡辺雄太,Ⓒゲッティイメージズ
このエントリーをはてなブックマークに追加

Ⓒゲッティイメージズ

パリ五輪へ団体競技で一番乗り

バスケットボール男子の日本代表が熱狂的なホームアドバンテージも味方につけ、日本の団体競技一番乗りでパリ五輪の出場権を獲得した。

9月2日、沖縄市で開催されたワールドカップ(W杯)の順位決定リーグ最終戦で北西アフリカの島国カーボベルデに勝利し、アジア勢6カ国の中で最上位を確定させ、1976年モントリオール大会以来48年ぶりの自力での五輪切符。2021年東京五輪で女子を史上初の銀メダルに導いたトム・ホーバス監督が作り上げたバスケットを体現し、アカツキ・ジャパンが歓喜の瞬間に包まれた。

今大会は1次リーグ第2戦でフィンランドに98―88で逆転勝ちし、順位決定リーグ初戦でもベネズエラに86―77で逆転勝利。NBAの実力者マルッカネン(ジャズ)を擁する格上のフィンランド戦は10点ビハインドで迎えた第4クオーターに司令塔の河村勇輝(横浜BC)が大車輪の活躍でチームをけん引し、22歳コンビの富永啓生(ネブラスカ大)も3点シュートを連発して大金星を挙げた。

南米のベネズエラ戦では苦しい展開ながらチーム最年長33歳の比江島慎(宇都宮)が第4クオーターに神懸かり的な3点シュートで勝利の立役者となり、日替わりヒーローが誕生する強みを見せつけた。

エースと期待された八村累(レイカーズ)が大会を欠場したが、渡辺雄太(サンズ)を中心にベテランと若手の融合で新時代を迎え、扉を開く期待が高まるパリ五輪。過去大会を振り返ると、世界の壁に苦闘の連続だった歴史が見えてくる。

バスケットボール男子日本の五輪成績

初出場は1936年ベルリン五輪

初出場はバスケットボールが正式競技となった1936年ベルリン五輪。ナチス・ドイツのプロパガンダと化した大会だった。当時はトーナメント方式で日本は1回戦で中華民国、2回戦でポーランドに勝ったが、3回戦でメキシコに屈して敗退となり、ベスト8に入れなかった。優勝は米国、2位はカナダ、3位メキシコだった。

4年後の1940年に予定されていた東京五輪は、日中戦争が激化したことで開催を返上。世界大戦を経て、1956年のメルボルン五輪で日本は20年ぶりに出場したが、1次リーグで米国、フィリピンに敗れ、タイに勝利したものの、1勝2敗から順位決定戦に回って10位。金メダルは米国、銀はソ連、銅はウルグアイだった。

続く1960年のローマ五輪は7戦全敗。棄権したブルガリアを除けば最下位の15位と世界の壁にはね返される時代が続いた。

1964年東京五輪は実業団や学生で意地、最多4勝の10位

自国開催となった1964年東京五輪では吉井四郎監督の下、実業団や学生のトップ選手が集結して日本は意地を示した。

1次リーグは初戦でカナダを下し、第2戦のハンガリーと第6戦のイタリアにも勝利して3勝。9-12位決定戦に回り、フィンランドを倒したが、オーストラリアに敗れて16か国中最高位タイの10位で終え、過去最多4勝をマークした。中心選手の増田貴史が活躍し、国際的にも大きな一歩を踏み出せた大会となった。

優勝は米国、2位はソ連、3位ブラジルだった。

1976年モントリオール五輪は11位

1976年モントリオール五輪は吉田正彦監督の下、前回ミュンヘン五輪で14位からの巻き返しを期したが、1次リーグは5戦全敗。特にソ連戦では63―129の大惨敗と振るわなかった。順位決定戦ではプエルトリコに敗れ、11位決定戦はエジプトの棄権で不戦勝となったものの、12ヶ国中11位と厳しい結果になった。

国際大会に復帰した中国の台頭などもあり、日本はこの大会を最後に国際規模の大会への出場から遠ざかっていく分岐点となった。

八村塁らを擁した東京五輪は3戦全敗

2021年東京五輪は開催国枠で出場し「史上最強」と称された日本は45年ぶりの挑戦で3連敗。強敵ぞろいで世界との差を縮めた実感は得たものの、その背中はまだ遠く、中心選手の渡辺雄太は悔し涙を隠さなかった。

1次リーグ初戦で2019年W杯を制したスペインを相手にエース八村らが食い下がったが、77―88で敗れて黒星スタート。第2戦は難敵スロベニアに81―116で敗れ、最終戦はアルゼンチンに77―97で敗れて3戦全敗となり、敗退が決まった。

一方、女子はトム・ホーバス監督の下、3点シュートの成功率を上げる緻密な戦術とスピード重視のスタイルを磨き上げて初の表彰台となる銀メダルを獲得した。決勝で米国に75―90で敗れたものの、過去最高成績だった1976年モントリオール五輪の5位を上回り、男女を通じて初の表彰台。ホーバス監督が残した「スーパースターはいないが、スーパーチーム」という言葉が話題を呼んだ歴史的な快挙でもあった。

【関連記事】
バスケットボール男子ワールドカップ歴代優勝国と開催地、日本代表成績
【バスケW杯】日本勝利でパリ五輪確定のカーボベルデ戦 今大会初の格下相手も侮れない理由
【バスケW杯】日本がフィンランドに歴史的勝利、五輪争いも暫定1位に WINNER売上も堅調