「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

助っ人外国人は辛いよ…… 笑いと涙の仰天帰国理由【プロ野球】

2019 3/13 11:30SPAIA編集部
助っ人外国人,ゴームズ,Ⓒゲッティイメージズ
このエントリーをはてなブックマークに追加

Ⓒゲッティイメージズ

コミュニケーション不足、地震、ゴキブリ……環境が合わなかった

王柏融、ビヤヌエバ、ライアン・クック……。2019シーズンも、期待の助っ人外国人たちが続々とやってきた。しかし、助っ人外国人全員が日本で活躍し成功を収めるわけではない。結果を出しても様々な理由で帰国となってしまう選手もいる。

無念の帰国となってしまった外国人選手たちを紹介する。

2016年に楽天へやってきたジョニー・ゴームズ。メジャー通算162本塁打という実績と、2013年に上原浩治らとともにレッドソックスでワールドシリーズを制した勲章を引っさげ、大砲候補としてチームに合流した。

オープン戦では13試合に出場し、打率.229ながらチームトップとなる4本塁打の活躍。シーズンへの期待を抱かせながら、開幕戦からスタメン出場を果たした。

しかし、シーズン開幕後は思うように調子が上がらず、わずか18試合の出場に留まり打率.169、1本塁打、7打点と結果を残せなかった。4月下旬に家族の事情で一時帰国後、日本に戻ることなくそのまま退団となった。

球団発表によると「心の底からみんなに感謝している」といった趣旨のコメントを残し、帰国後に受けたインタビューでは「地震が怖かった、言葉が通じずチームメートとコミュニケーションが取れなかった。しかし、そのほかは最高だった」と語っている。日本が嫌いというわけではなさそうだったが、環境面、コミュニケーションでのミスマッチが、早々の帰国劇を生んでしまった。

異国の地ではコミュニケーションで苦労することが多い。助っ人外国人にとって環境面や待遇面の問題は非常にセンシティブで、それを理由に日本を去ってしまった選手もいる。

1984年に近鉄に入団したドン・マネーもその一人。家族を伴って来日したが、球団の用意したマンション周辺に英語を話せる住人がほとんどおらず、家族は生活への不安からホームシックに。さらには住居にゴキブリが大量に出たためノイローゼになってしまった。

家族を守るため「契約金は全部返すので退団させてほしい」と球団に申し入れたマネーは、球団の必死の慰留にも気持ちは変わらず、開幕からわずか1ヵ月で日本を去ってしまった。

折れたバットで骨折し帰国

帰国していなければ大記録を残していたかもしれない、そんな選手がセシル・フィルダーだ。

1980年代後半の阪神は、外国人選手が大当たりした時期だった。史上最高の助っ人と言われるランディ・バースが1985、86年に2年連続となる三冠王を獲得するなど6年間で打率.337、202本塁打、486打点を記録した。

しかし、球団とのトラブルもあり1988年途中に帰国してしまう。その翌年にやってきたのがフィルダーだった。

「バースの再来」と期待されたフィルダーは序盤から結果を残し、主軸としてチームを牽引。9月半ばまでに打率.302、38本塁打、81打点の成績を残していた。 「バースの再来」が現実のものとなったかに思われたが、そこで悲劇が起こる。

フィルダーは9月半ばの試合で、三振した際に激高して地面に叩きつけたバットが跳ね返り手の指を骨折。助っ人として申し分のない成績を残していたものの、残りのシーズン全てを棒に振り、そのまま帰国、退団となってしまった。

翌年からメジャーリーグに復帰したフィルダーは1990、91年と2年連続で本塁打王を獲得。その後、1998年までプレーしメジャー通算319本塁打を記録するなど、スラッガーとして名を残している。また、息子のプリンス・フィルダーも12年間で319本塁打を放つ二世メジャーリーガーとして活躍した。

おすすめの記事