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プロ野球助っ人外国人 笑いと涙の帰国理由

2018 2/25 09:59mono
助っ人外国人,ゴームズ
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Ⓒゲッティイメージズ

ゴームズはコミュニケーション不足

2016年に楽天へやってきたジョニー・ゴームズ。メジャー通算162本塁打という実績を引っさげ、大砲候補としてチームに合流した。
2013年には上原浩治らとともにレッドソックスのメンバーとしてワールドチャンピオンにも輝いており、世界一を知っている選手としてやってきたのだ。

調整となるオープン戦では13試合に出場し、打率.229ながらチームトップとなる4本塁打の活躍。シーズンへの期待を抱かせながら、開幕戦からスタメン出場を果たした。
しかし、シーズン開幕後は思うように調子が上がらず、わずか18試合の出場に留まり打率.169、1本塁打、7打点と結果を残せなかった。4月下旬に家族の事情で一時帰国後、日本に戻ることなくそのまま退団となった。

球団発表によると「心の底からみんなに感謝している」といった趣旨のコメントを残し、帰国後に受けたインタビューでは「地震が怖かった、言葉が通じずチームメートとコミュニケーションが取れなかった。しかし、そのほかは最高だった」と語っている。

球団を通じて、またアメリカでの記者へのインタビューでもファンへ感謝のコメントを残していることから、日本が嫌いというわけではなさそうだ。結果を残せなかったこともあるが、環境面、コミュニケーションでのミスマッチが、早々の帰国劇を生んでしまったといえるだろう。

フィルダーは折れたバットで骨折し帰国

1980年代後半の阪神は、外国人選手が大当たりした時期だった。史上最高の助っ人とも呼ばれているランディ・バースが1985年、1986年に2年連続となる三冠王を獲得するなど6年間で打率.337、202本塁打、486打点を記録した。
しかし、球団とのトラブルもあり1988年途中に帰国してしまう。その翌年にやってきたのがセシル・フィルダーだった。

フィルダーは序盤から結果を残し、主軸としてチームを牽引。バースには及ばないものの、9月半ばまでに打率.302、38本塁打、81打点の成績を残していた。
だが、フィルダーは9月半ばの試合で、三振した際に叩きつけたバットの跳ね返りに当たり手首を骨折してしまう。その影響で帰国となってしまった。

助っ人外国人選手として申し分のない成績を残したものの、思わぬ事故で帰国から退団となってしまったのだ。翌年からメジャーリーグに復帰したフィルダーは1990年、1991年と2年連続で本塁打王を獲得。
その後、1998年まで現役としてプレーしメジャー通算319本塁打を記録するなど、強打のスラッガーとして名を残している。また、息子であるプリンス・フィルダーも、メジャーリーガーとして12年間で319本塁打を放つ二世メジャーリーガーとして活躍した。

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