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スラッガーの代名詞?プロ野球における背番号55の選手たち

2020 4/1 15:30SPAIA編集部
ベースボールプレイヤー
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2020年現役選手の背番号「55」

プロ野球の背番号には特定の選手のイメージがつく場合がある。「55」は松井秀喜が背負って以来、スラッガーが付けることが増えた。たかが番号と言うなかれ。まずは2020年に背番号55を背負う各球団の選手をまとめてみた。

西武:不在
ソフトバンク:野村大樹内野手
楽天:不在
ロッテ:細川亨捕手
日本ハム:難波侑平内野手
オリックス:T-岡田外野手
巨人:不在
DeNA:田部隼人内野手
阪神:陽川尚将内野手
広島:松山竜平外野手
中日:福田永将内野手
ヤクルト:村上宗隆内野手

不在:3球団
永久欠番:0球団
投手:0球団
捕手:1球団
内野手:6球団
外野手:2球団

昨年36本塁打を放って新人王に輝いたヤクルト・村上宗隆や2010年本塁打王のオリックス・T-岡田、広島はエルドレッドから引き継いだ松山竜平、中日は昨年チームトップタイの18本塁打をマークした福田永将、阪神は2軍で2016、2017年と2年連続本塁打王に輝いた陽川尚将、ソフトバンクは早実で清宮幸太郎(現日本ハム)とクリーンナップを組み、高校通算68本塁打を放った野村大樹ら、長距離砲がズラリと並ぶ。

2017年までソフトバンク、阪神、ロッテで活躍したジェイソン・スタンリッジは投手として珍しく「55」を背負っていたが、現在は投手は0人。西武は昨年まで背負っていた秋山翔吾がメジャー移籍したため空き番となっている。

「ゴジラ」こと松井秀喜

日本プロ野球における背番号「55」と言えば、やはり松井秀喜だろう。それは、各球団の背番号「55」が活躍すると松井選手のニックネームでもあった『ゴジラ』を文字って『赤ゴジラ』、『青ゴジラ』などと呼ばれることからも明らかだ。 松井は星稜高校時代から注目のスラッガーで、1992年夏の甲子園で受けた「5打席連続敬遠」は社会的な話題としても取り上げられた。

その年のドラフト会議では目玉選手となり、掛布雅之に憧れていた松井は阪神を希望していたが、阪神を含めた4球団が1位指名で入札した結果、抽選で巨人・長嶋茂雄監督が当たりくじを引いた。この時に長嶋監督がみせたサムアップと笑顔が至上の喜びを表している。

1年目から2桁本塁打(11本)を放つと2年目からはレギュラーに定着し、日本を代表するスラッガーへと成長。数々のタイトルを手にし、日本最終年となった2002年には1985年の落合博満(52本)以来となる日本人選手による50本塁打を記録。そのオフにFA権を行使しメジャーリーグへと羽ばたいた。

メジャーリーグ最初の球団となったニューヨーク・ヤンキースでも背番号「55」を背負い、7年間在籍。そこでも「GODZILLA」と呼ばれ人気を博した。在籍最終年となった2009年にはワールドシリーズMVPに輝くなど実績を残し、ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズと渡り歩いて2012年に現役を引退した。

最後の所属チームとなったレイズでは「35」を着用。これがプロ入り後、初の背番号変更だった。現役引退後の2013年には長嶋監督と同時に国民栄誉賞を受賞。日本を代表する選手として認知されている。

「赤ゴジラ」こと嶋重宣からエルドレッド、松山竜平へ

「赤ゴジラ」と呼ばれたのが、1994年ドラフト2位で東北高から広島に入団した嶋重宣だ。投手としてのプロ入りだったが、打撃センスを認められて野手に転向し、才能が開花したのは2004年だった。プロ入り後初めて規定打席に到達すると打率.337(561打数189安打)で首位打者、最多安打のタイトルを獲得。このシーズンから背番号「55」だったこともあり「赤ゴジラ」の愛称がつけられた。

その後、2011年まで広島でプレーし、トレードで西武へと移籍した後、2013年に現役を引退した。

嶋から55番を引き継いだのがブラッド・エルドレッド。身長196センチ、体重126キロという巨漢選手で2014年には37本塁打をマークしてタイトル獲得。広島在籍7年で計133本塁打を放った。普段から自転車を愛用し、街中でも気軽にファンと接するなど、愛される選手だった。

エルドレッドの退団後、「44」だった松山竜平が2019年から「55」を継承。松井と同じ左の強打者として、さらなる飛躍を目指す。

59イニング連続無失点記録のハーシュハイザー

メジャーリーグに目を向けると、伝説的な投手の一人でもあるオーレル・ハーシュハイザーの名前が挙がるだろう。ロサンゼルス・ドジャースなど4球団でプレーし、18年間で204勝(150敗)。1998年に在籍したサンフランシスコ・ジャイアンツを除いて全て背番号「55」を着用しており、この番号の代表的な選手でもある。

ハーシュハイザーのハイライトは1988年だ。シーズン最後の登板でMLB記録の59イニング連続無失点を達成し、23勝8敗、防御率2.26の成績で最多勝のタイトル獲得、サイヤング賞を受賞した。チームもワールドシリーズを制覇し、ハーシュハイザーはMVPを受賞している。

また、同年オフには日米野球のメンバーとして来日。その試合で田村藤夫(日本ハム)に本塁打を浴びた。この本塁打があったため、「連続無失点記録を止めたのは田村」と言われることもあった。

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