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プロ野球における背番号54の名選手たち

2017 12/26 15:19mono
ベイスボールプレイヤー
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2017年現役選手の背番号「54」

2017年各球団の背番号「54」は下記の選手が背負っていた。


  • 日本ハム:玉井大翔選手(投手)
  • ソフトバンク:デスパイネ選手(外野手)
  • ロッテ:ペーニャ選手(内野手)
  • 西武:ウルフ選手(投手)
  • 楽天:ペゲーロ選手(外野手)
  • オリックス:黒木優太選手(投手)
  • 広島:船越涼太選手(捕手)
  • 巨人:高木勇人選手(投手)
  • DeNA:小杉陽太選手(投手)
  • 阪神:メッセンジャー選手(投手)
  • ヤクルト:中澤雅人選手(投手)
  • 中日:藤嶋健人選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:8球団
捕手:1球団
内野手:1球団
外野手:2球団


2017年シーズン、背番号「54」は8球団で使用している投手のイメージが強い。歴代の選手を見ても、やはり投手が多くなっている。
また、外国人選手が背負うことも多く。デスパイネ選手(ソフトバンク)、ペーニャ選手(ロッテ)、ウルフ選手(西武)、ペゲーロ選手(楽天)、メッセンジャー選手(阪神)と、実に5選手が着用中だ。

とくに阪神は、メッセンジャー選手の前にウィリアムス選手が使用するなど、外国人選手の着用が根付いている。
日本人選手では、この番号で活躍すると若い番号へと変わることも多い。1980年代から1990年代にかけて読売ジャイアンツで活躍した槙原寛己選手もそのひとりだ。

『50番台トリオ』の一角・槙原寛己選手

1980年代に読売ジャイアンツで『50番台トリオ』と呼ばれている選手達がいた。「50」の駒田徳広選手、「55」の吉村禎章選手、そして「54」の槙原寛己選手だ。
1981年のドラフト会議で槇原選手は、愛知県・大府高校からドラフト1位で巨人に入団。この年のドラフトでは、愛工大名電高校の工藤公康選手(現・ソフトバンク監督)、愛知高校の浜田一夫選手とともに『愛知三羽ガラス』と呼ばれており、注目度は高かった。

入団1年目に一軍登板はなく、デビューは2年目となる1983年だ。この年に12勝をマークし新人王を受賞。以降も先発ローテーションに入る活躍を見せた。

槇原選手で有名なのは、1985年に甲子園球場で行われた阪神タイガース戦でのランディ・バース選手、掛布雅之選手、岡田彰布選手に三者連続バックスクリーン弾を浴びたシーンだろう。この映像は、1985年の阪神を紹介するVTRに必ずと言っていいほど収録されている。
また、1986年に規定投球回への到達はならなかったものの、防御率2.29と好成績を残し翌年から背番号は「17」となった。

1990年代には桑田真澄選手、斎藤雅樹選手らとともに三本柱として活躍。1994年には完全試合を達成した。
2017年終了時点において槇原選手の完全試合が最後となっている。現役晩年には、先発から抑えに転向。通算で159勝128敗56セーブを挙げた名選手のひとりでもある。

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