2020年現役選手の背番号「51」
2020年各球団の背番号「51」は下記の選手が背負っている。
- 西武:西川愛也外野手
- ソフトバンク:上林誠知外野手
- 楽天:小郷裕哉外野手
- ロッテ:山口航輝外野手
- 日本ハム:石川直也投手
- オリックス:不在
- 巨人:田中俊太内野手
- DeNA:宮﨑敏郎内野手
- 阪神:伊藤隼太外野手
- 広島:小園海斗内野手
- 中日:滝野要外野手
- ヤクルト:濱田太貴外野手
不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:1球団
捕手:0球団
内野手:3球団
外野手:7球団
2020年シーズンはオリックス以外の11球団が「51」を使用。オリックスはイチローがメジャーリーグへ移籍した2001年以降、空き番号となっており、この番号を背負った選手はいない。
大きい数字ではあるが、イチローの影響もあって小園海斗(広島)ら有望な若手選手、もしくは2017年に首位打者に輝いた宮﨑敏郎(DeNA)や上林誠知(ソフトバンク)ら実績を残している選手が多い。
かつては鈴木誠也(広島)や京田陽太(中日)も背負っていたが、現在は変更している。今後もイチローのようになってほしいという願いが込められ、有望な野手に与えられることが多いだろう。
日本が誇る「安打製造機」イチロー
日本プロ野球界において背番号「51」と言えば、イチローが圧倒的な存在感を誇る。
1994年に当時のシーズン最多安打記錄となる210安打をマークすると、7年連続で首位打者。ポスティングシステムによってシアトル・マリナーズに移籍した2001年にも首位打者のタイトルを獲得し新人王、MVPなどを受賞した。以降も10年連続でゴールドグラブ賞、200安打達成と記録を挙げればキリがない。
イチローはニューヨーク・ヤンキースに所属した2012年後半から2014年にかけての2年半を除き、アメリカでも背番号「51」を背負った。また、日本代表として参加した2度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも背番号は「51」だった。
王貞治の背番号「1」、長嶋茂雄の背番号「3」と並んで日本球界を代表する番号と言えるだろう。
鈴木誠也から小園海斗へ受け継がれた広島の「51」
今ではセ・リーグを代表する強打者となった鈴木誠也(広島)。2012年ドラフト2位で二松学舍大附属高から広島へ入団した際に与えられた背番号は「51」だった。
鈴木はルーキーイヤーの2013年から一軍で出場すると、徐々に出番を増やし、2016年にレギュラー定着。第4回WBC日本代表にも選ばれ、イチローと同じ右翼を守り背番号も同じ「51」を背負った。2018年には自身初の30本塁打をマーク。翌2019年から背番号「1」に変更した。
その後を受け継いだのがドラフト1位で入団した小園海斗。1年目から58試合に出場するなど、俊足巧打の左打者として将来を嘱望されている。
2人の首位打者生んだDeNAの背番号「51」
2017年シーズンにブレイクしたDeNAの宮﨑敏郎。2012年ドラフト6位でプロ入りすると、2016年に101試合に出場し、レギュラー定着を果たす。
翌2017年は開幕直後に離脱したものの、128試合に出場して打率.323で首位打者を獲得。ベストナインも受賞した。
入団当時から背負っている「51」は、かつて鈴木尚典が背負っていた番号でもあった。鈴木は1997年に首位打者を獲得し、そのオフに背番号「51」から「7」へ変更。翌1998年には2年連続で首位打者を獲得している。
2人の首位打者を生んだDeNAの背番号「51」は今後、安打製造機に受け継がれていくかもしれない。
メジャー通算4875奪三振のランディ・ジョンソン
メジャーリーグで背番号「51」を着用したレジェンドにランディ・ジョンソンがいる。身長は208センチあり「ビッグ・ユニット」とも呼ばれていた。
1988年のメジャーデビューから2009年の現役引退までに618試合に登板し303勝(166敗)をマーク。通算4875奪三振、サイ・ヤング賞5回と偉大な数字を残している。
現役時代の多くを背番号「51」で過ごしており、シアトル・マリナーズではイチローの前にこの番号を背負っていた。アリゾナ・ダイヤモンドバックスではジョンソンの「51」が永久欠番になっている。