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プロ野球における背番号53の名選手たち

2017 12/26 15:17mono
野球ボール,バット,グローブ
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『ロケットボーイズ』の一角!五十嵐亮太選手

ヤクルトスワローズ、福岡ソフトバンクホークスで中継ぎとして活躍する五十嵐亮太選手。メジャーリーグ経験もある日本のトッププレーヤーだ。
ヤクルト、そしてソフトバンクと日本球界では、背番号「53」を背負っている。

ヤクルト時代は石井弘寿選手とともに、ロケットボーイズとしてセットアッパーに定着。2004年には抑えとなり、最優秀救援投手のタイトルも獲得した。
メジャーリーグでは3球団に在籍し、83試合に登板。ここでの役割も日本時代と同じく中継ぎだった。

2013年に再び日本球界へ復帰。ソフトバンクに入団するとセットアッパーとなり、5年連続で30試合以上に登板するなど結果を残している。この五十嵐選手は、2017年終了時点で日米通算837試合に登板中。
今後の起用法次第では、岩瀬仁紀選手が記録している登板数の日本記録越を塗り替えるかもしれない。

『不惑の大砲』こと門田博光選手

40歳を超えても、なお長距離砲として活躍した門田博光選手。その背番号は入団から「27」「44」「60」「78」「53」と4度変更し5個の番号を背負っている。
そのなかで、現役最後の番号となったのが1991年、1992年の福岡ダイエーホークスで背負った「53」だ。

南海ホークス、オリックス・ブルーウェーブで活躍した門田選手は、1991年からダイエーへ加入。そのとき43歳であったが、112試合に出場し18本塁打を記録。
44歳となった翌1992年にも65試合に出場し7本塁打をマークする。この7本塁打は44歳での最多本塁打記録でもある。この年限りで現役を引退した門田選手の通算567本塁打、1678打点はNPB史上歴代3位だ。
『不惑の大砲』と呼ばれた男は王貞治選手、野村克也選手に次ぐ数字を残し球史に名を刻んだ。近年は、メジャーリーグへ挑戦する選手も増え、この記録を更新するのはむずかしいかもしれない。

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