2022年現役選手の背番号「52」
2022年各球団の背番号「52」は下記の選手が背負っている。
ヤクルト:近藤弘樹投手
阪神:アーロン・ウィルカーソン投手
巨人:北村拓己内野手
広島:末包昇大外野手
中日:加藤翔平外野手
DeNA:細川成也外野手
オリックス:横山楓投手
ロッテ:益田直也投手
楽天:津留﨑大成投手
ソフトバンク:リチャード内野手
日本ハム:池田隆英投手
西武:山田遥楓内野手
不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:0球団
内野手:3球団
外野手:3球団
2022年シーズンはポジションによる偏りはなく、万遍なく使用されている背番号52。大きい数字ということもあり、結果を残すことで若い番号へ変更する選手も多い。オリックス時代の坂口智隆(現ヤクルト)、多村仁志(元横浜)らがそうだった。
一方で川崎宗則や益田直也のように結果を残しても、変更しない選手もいる。現在、背負っている選手たちが結果を残した際は背番号の行方にも注目したい。
WBCでみせた「神の右手」川崎宗則
川崎宗則は1999年ドラフト4位で鹿児島工業高からダイエーに入団。入団時に与えられた背番号は「52」だった。2年目の2001年に一軍デビューを果たし2003年にレギュラーを獲得。2004年には打率.303(564打数171安打)を記録し、最多安打と盗塁王(42盗塁)のタイトルを獲得した。
2006年、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメンバーにも選出。日本代表でもシーズン同様に背番号52を着用した。第1回大会決勝のキューバ戦では好走塁でチームに貢献。「神の右手」と称されたスライディングで多くのファンを魅了した。
甘いマスクで女性からの人気も高かったが、スター選手となってもメジャーリーグ移籍前年の2011年まで「52」でプレー。渡米中は球団は「52」を空き番号とし、ソフトバンクに復帰した2017年に再び着用した。同年シーズンを最後に退団。現在はBCリーグ栃木で「52」を背負ってプレーしており、ソフトバンクでは2020年からリチャードが受け継いでいる。
ヤクルトで復活した坂口智隆
坂口智隆は2002年ドラフト1位で神戸国際大付属高から近鉄に入団し、与えられた背番号は27だった。2004年の球団合併でオリックス・バファローズとなり、背番号52を背負った。
2009年、137試合に出場して打率.317をマークすると、翌2010年から「9」に変更。2011年には175安打で最多安打のタイトルを獲得したが、2015年にケガの影響もあって36試合出場にとどまり、自由契約となった。
ヤクルトに移籍すると背番号42をつけて輝きを取り戻し、2016年から3年連続150安打以上をマーク。主に1番打者として起用され、見事に復活を果たした。
2022年でプロ20年目。近鉄のユニフォームを着た唯一の現役選手としてプレーしている。
DeNAの出世番号になるか?細川成也に掛かる期待
2016年ドラフト5位でDeNAに入団した細川成也。高卒新人ながらシーズン終盤に一軍デビューを果たし、初打席で本塁打を放つと、翌日の試合でも本塁打を放ちファンの度肝を抜いた。高卒新人によるデビューから2戦連続本塁打は史上初の快挙だった。
高卒新人としてクライマックスシリーズ、日本シリーズにも出場して結果を残すなど、メジャーに移籍した筒香嘉智の後継者候補として大きな期待がかけられている。
細川が背負う「52」は多村仁志、石川雄洋といった選手が入団当時に着用していた番号だ。多村、石川ともに結果を残し、5年で背番号を変更した。細川の今後の活躍次第ではDeNAの出世番号となるかもしれない。
13年連続2桁勝利を達成したCC.サバシア
ニューヨーク・ヤンキースで左腕エースとして活躍したCC.サバシア。2001年にインディアンスでデビューした当時から、背番号は一貫して「52」を背負った。
サバシアは2001年のメジャーデビューからチームは変わりながらも、2013年まで13年連続2桁勝利をマーク。2007年にはサイ・ヤング賞を受賞、2009年、2010年には2年連続で最多勝に輝いたメジャーリーグ史に残る投手だ。
連続2桁勝利が途切れた2014年から低迷していたが、2017年シーズンに14勝をマークして復活。2019年に引退するまでMLB通算251勝、3093奪三振をマークした。
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