2023年現役選手の背番号「52」
ダイエー、ソフトバンクで活躍した川崎宗則の印象が強い背番号52。2023年各球団の「52」は下記の選手が背負っている。
オリックス:横山楓投手
ソフトバンク:リチャード内野手
西武:陽川尚将内野手
楽天:津留﨑大成投手
ロッテ:益田直也投手
日本ハム:池田隆英投手
ヤクルト:尾仲祐哉投手
DeNA:不在
阪神:不在
巨人:北村拓己内野手
広島:末包昇大外野手
中日:加藤翔平外野手
不在:2球団
永久欠番:0球団
投手:5球団
捕手:0球団
内野手:3球団
外野手:2球団
2023年シーズンはポジションによる偏りはなく使用されている。変更があったのは4球団。昨年の現役ドラフトで阪神から移籍してきた陽川尚将(西武)、阪神を戦力外となり、ヤクルトに加入した尾仲祐哉の2選手が着用。DeNAは細川成也が現役ドラフトで中日へ移籍、阪神ではアーロン・ウィルカーソンが退団したため、ともに空き番となっている。
大きい数字ということもあり、結果を残すことで若い番号へ変更する選手も多い。球団生え抜き初の2000安打を達成した西武・栗山巧や多村仁志(元横浜)らがそうだった。一方で、川崎宗則やロッテの益田直也のように結果を残しても、変更しない選手もいる。現在、背負っている選手たちが結果を残した際は背番号の行方にも注目したい。
次章以降では、背番号「52」にまつわる選手や球団の歴史などを紹介していく。
WBCでみせた「神の右手」川崎宗則
川崎宗則は1999年ドラフト4位で鹿児島工業高からダイエーに入団。入団時に与えられた背番号は「52」だった。2年目の2001年に一軍デビューを果たし2003年にレギュラーを獲得。2004年には打率.303(564打数171安打)を記録し、最多安打と盗塁王(42盗塁)のタイトルを獲得した。
2006年、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメンバーにも選出。日本代表でもシーズン同様に背番号52を着用した。第1回大会決勝のキューバ戦では好走塁でチームに貢献。「神の右手」と称されたスライディングで多くのファンを魅了した。
甘いマスクで女性からの人気も高かったが、スター選手となってもメジャーリーグ移籍前年の2011年まで「52」でプレー。ソフトバンクに復帰した2017年に再び着用した。同年シーズンを最後に退団。現在はBCリーグ栃木で「52」を背負ってプレーしている。ソフトバンクでは2020年からリチャードが受け継いでいる。
ヤクルトで復活した坂口智隆
坂口智隆は2002年ドラフト1位で神戸国際大付属高から近鉄に入団し、与えられた背番号は27だった。2004年の球団合併でオリックス・バファローズとなり、背番号52を背負った。
2009年、137試合に出場して打率.317をマークすると、翌2010年から「9」に変更。2011年には175安打で最多安打のタイトルを獲得したが、2015年にケガの影響もあって36試合出場にとどまり、自由契約となった。
ヤクルトに移籍すると背番号42をつけて輝きを取り戻し、2016年から3年連続150安打以上をマーク。主に1番打者として起用され、見事に復活を果たした。そして、プロ20年目となる2022年限りで現役を引退した。
13年連続2桁勝利を達成したCC.サバシア
ニューヨーク・ヤンキースで左腕エースとして活躍したCC.サバシア。2001年にインディアンスでデビューした当時から、背番号は一貫して「52」を背負った。
サバシアは2001年のメジャーデビューからチームは変わりながらも、2013年まで13年連続2桁勝利をマーク。2007年にはサイ・ヤング賞を受賞、2009年、2010年には2年連続で最多勝に輝いたメジャーリーグ史に残る投手だ。
連続2桁勝利が途切れた2014年から低迷していたが、2017年シーズンに14勝をマークして復活。2019年に引退するまでMLB通算251勝、3093奪三振をマークした。
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