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プロ野球における背番号43の名選手たち

2017 12/22 10:00cut
グランド
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広島の背番号「43」は外国人選手用!?

広島東洋カープの背番号「43」は、外国人選手が多くつけている。1990年にヤング選手が着用して以降、合計11名が使用した番号だ。のちに監督も務めることになるブラウン選手も1992年から1994年の3年間にわたり、この番号でプレーしていた。
広島、東北楽天ゴールデンイーグルス2球団で監督を務めているが、その当時の背番号は「43」ではなく、それぞれ「71」、「81」となっている。

長期にわたって定着することは少なく、ブラウン選手(1992年-1994年)、ミンチー選手(1998年-2000年)の3年間が最長着用期間となっており、7選手が1年のみで退団となっている。

おもしろいエピソードがあるのは、初めて広島の外国人選手として背番号「43」をつけたヤング選手だ。1990年に入団した際の背番号は「55」であった。しかし、キャンプ中に仁平馨選手と背番号を交換したのだ。キャンプ中に背番号を交換するのは異例のことだった。

2017年現在は、土生翔平選手が2012年より同番号を背負っている。今後、外国人選手が背負うことになるのか広島の背番号「43」に注目したい。

両リーグで2桁勝利を達成したミンチー選手

広島東洋カープ、千葉ロッテマリーンズの2球団でプレーしたミンチー選手。1998年に広島へ加入すると15勝をマークし、ローテーションの一員としてシーズンを全うする。投球回数もリーグ最多の236回とまさにフル回転の活躍だった。翌1999年はわずか2勝(9敗)に終わるが、2000年に再び12勝(10敗)と2桁勝利。広島での3年間で29勝をあげている。

2000年で広島との契約が切れるとアメリカへ戻ることはせず、ロッテに移籍。リーグを移っても3年連続2桁勝利を記録。移籍初年度の2001年には防御率3.26で最優秀防御率のタイトルも獲得し、両リーグで2桁勝利を挙げた外国人選手となった。
パ・リーグにおいて同タイトルを獲得したのはミンチー選手が初めてだ。また、防御率3点台のタイトルホルダーは、この年のミンチー選手以降出ていない。

ロッテでは4年間を過ごし45勝、日本通算74勝をあげ2004年に現役を引退した。ミンチー選手は日本での7シーズン全てにおいて、背番号「43」を着用している。両リーグで活躍したこともあり、背番号「43」といえばミンチー選手の名前が思い浮かぶファンも少なくないだろう。

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