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プロ野球における背番号41の名選手たち

2017 12/22 10:20cut
野球ボール,グローブ
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選手、監督、編成で西武を支える渡辺久信氏

2017年現在、埼玉西武ライオンズのシニアディレクター兼編成部長を務めている渡辺久信氏。その渡辺氏は現役時代にエース格の投手として活躍していた。

1983年ドラフト1位で西武に入団すると背番号「41」を与えられる。2年目の1985年から本格的に一軍登板を果たすと1986年には16勝、178奪三振で最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得。以降もエース格として1980年代後半から黄金時代を支えていた。

また、阿波野秀幸選手(元・近鉄他)、西崎幸広選手(元・日本ハム他)らとともにトレンディエースと呼ばれていたことでも知られている。西武を1997年に退団し現役晩年はヤクルトスワローズ、台湾でもプレーし2001年に現役引退。台湾でも最多勝を獲得するなどの実績を残している。

その後、指導者として古巣の西武に復帰し、2008年から監督へ就任。その時の背番号は「41」ではなく「99」となった。2013年に監督を退いた後はフロントとしてチームを支えている。

渡辺選手以後、西武の「41」は鳥谷部健一選手、後藤光貴選手、木村文和選手、誠選手らが背負っているが大きな実績を残した選手いない。渡辺選手を超える選手の誕生が待たれている。

中日ドラゴンズの背番号「41」から2人のレジェンド誕生

中日ドラゴンズにおけるレジェンドのひとりでもある高木守道選手。「ミスタードラゴンズ」とも呼ばれ通算2274安打を放ち、名球会入りも果たしている。盗塁王に3度輝くなど走攻守と三拍子揃った二塁手だった。その高木選手は背番号「1」のイメージが強い。
しかし、入団当初は「41」だったのだ。1960年に中日へ入団し「41」を背負った高木選手。初打席初本塁打を放つなど1年目から一定の成績を残し、1962年までの3年間この番号を着用している。

その高木選手の後に6選手が着用し、1976年から谷沢健一選手がこの番号をつけることになる。早稲田大学から1969年ドラフト1位で中日へ入団した谷沢選手。1年目の1970年からレギュラーを獲得し、1972年から1975年まで4年連続打率2割9分台を記録。一流選手の証でもある打率3割にあと一歩どどかない成績が続いていた。

しかし、1976年に背番号を「41」へと変更すると打率.355で首位打者を獲得する。それ以降アキレス腱断裂の大けがを負うも1980年に復活。打率.369で2度目の首位打者を獲得しカムバック賞も受賞した。1986年に引退するまでに積み上げた安打は2062本。高木選手に続いての名球会入りとなった。

現在、中日の背番号「41」は投手の浅尾拓也選手が着用中。右肩の故障から完全復活とはなっていないが、谷沢選手のように復活することを期待したい。

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