プロ野球における背番号36の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号36の名選手たち


2017年現役選手の背番号「36」

2017年各球団の背番号「36」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:中村勝選手(投手)
ソフトバンク:牧原大成選手(内野手)
ロッテ:有吉優樹選手(投手)
西武:南川忠亮選手(投手)
楽天:内田靖人選手(内野手)
オリックス:髙木伴選手(投手)
広島:塹江敦哉選手(投手)
巨人:桜井俊貴選手(投手)
DeNA:狩野行寿選手(内野手)
阪神:浜地真澄選手(投手)
ヤクルト:廣岡大志選手(内野手)
中日:石岡諒太選手(内野手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:7球団
捕手:0球団
内野手:5球団
外野手:0球団

2017年シーズン、背番号「36」は投手・内野手の2ポジションで使用されており、捕手・外野手の選手は着用していなかった。この番号は期待される若手がつけることも多く、結果を残すと若い番号に変更されることも多い。

過去の選手を見ると投手ではなく、野手において活躍した選手が多く、東京ヤクルトスワローズなどはその傾向が現れている。また、読売ジャイアンツではV9時代を支えた名脇役がこの番号を背負っていた。

受け継がれていくヤクルトの背番号「36」

東京ヤクルトスワローズは、伝統的に背番号を受け継いでいく球団でもある。その代表例が背番号「1」だ。ヤクルトにおいて、この番号を背負う選手は『ミスタースワローズ』とも呼ばれチームの中心であることが求められる。
初代の若松勉選手から池山隆寛選手、岩村明憲選手、青木宣親選手、山田哲人選手と名選手がずらりと並ぶ。この「1」と並びヤクルトで受け継がれている番号が「36」だ。

『ミスタースワローズ』にもなった池山選手が1984年から背負ったこの番号。その後は川端慎吾選手、廣岡大志選手と野手の有望株に与えられている。川端選手はケガに悩まされつつも結果を残し、入団から6年で背番号は「5」へと出世した。その後は首位打者も獲得、選手会長にもなるなどチームの中心的存在となっている。

2016年からは期待の長距離砲である廣岡選手が着用。デビュー戦ではプロ初打席初本塁打を放つなど、衝撃的なプロ生活をスタートさせた。2年目となった2017年シーズンは終盤戦で一軍起用される機会も増えている。しかし、結果を残せずに伸び悩んでいる。今後の活躍に期待したいところだ。

このように球団の歴史が見えてくると、廣岡選手が成長した後にこの番号をつける選手が今から楽しみだ。背番号「1」に続くヤクルトの継承されるべき番号になることを期待したい。

V9時代に背番号「36」を背負った国松彰選手・柳田俊郎選手

読売ジャイアンツの背番号「36」は『ON』こと王貞治選手、長嶋茂雄選手と同じ時代に活躍していた選手が着用していた。国松彰選手、柳田俊郎選手のふたりだ。

1955年に投手として巨人に入団した国松選手。入団3年目に外野手へ転向すると1960年にレギュラーを獲得する。1961年からは王選手、長嶋選手の前を打つ1番、2番で起用されていた。
1965年から始まった9連覇の初期を中心メンバーとして過ごし1970年に現役を引退。入団から引退まで背番号「36」を背負っている。
現役引退後は亀屋万年堂の経営に携わった。これは創業者の娘と結婚したからである。

国松選手の後にこの番号を背負ったのが、柳田俊郎選手だ。1969年に西鉄ライオンズから巨人へ移籍してきた柳田選手。1971年に背番号「62」から「36」へ変更すると控えながらも出場機会を増やしていく。
1974年には規定打席に未到達ながらも打率.335(251打数84安打)、15本塁打、52打点をマーク。1977年には登録名を柳田真宏へと変更し大ブレイク。打率.340(374打数127安打)、21本塁打、67打点の成績を残す。この年、打撃タイトルこそ獲得できなかったが、恐怖の5番打者として他球団からは恐れられた。

国松選手、柳田選手以降ではヤクルトから移籍してきた長嶋一茂選手、マイケル中村選手らが巨人の「36」を背負っている。しかし、大きな実績を残すことはできていない。2017年からこの番号を背負っている桜井俊貴選手には前任者を超える活躍に期待が掛かる。

スピットボールで300勝超!ゲイロード・ペリー選手

2017年現在でメジャーリーグにおいて背番号「36」は2球団で永久欠番となっている。サンフランシスコジャイアンツとフィラデルフィアフィリーズだ。そのひとつであるジャイアンツで永久欠番となっているのが、ゲイロード・ペリー選手だ。

ペリー選手はジャイアンツ含め8球団でプレー。メジャー生活22年間において777試合に登板し314勝265敗10S、防御率3.11の成績を残している。サイ・ヤング賞を両リーグで獲得した初めての投手でもある。また、1983年に現役を引退し1991年にはアメリカ野球殿堂入りを果たした人物だ。

このペリー選手は優れた成績を残した選手ではあるが、違反投球とされている『スピットボール』を多用していた。スピットボールとは、ボールにワセリンなどをつけ細工し変化球の曲がりを大きくすることだ。
ペリー選手は、この違反投球をしている事実を逆手に取り打者を翻弄していた逸話もあるほどだ。引退後には自伝で『私とスピットボール』を出版しておりアメリカで話題となった。

完投数の多いタフネス右腕・ロビン・ロバーツ選手

メジャーリーグにおいて背番号「36」が永久欠番となっているもうひとりは、ロビン・ロバーツ選手だ。ロバーツ選手は1948年にフィラデルフィアフィリーズでメジャーデビューを果たすと、1950年に20勝をマーク。そこから6年連続20勝以上を達成するなど、リーグを代表する投手となった。

その後、ボルチモアオリオールズ、ヒューストンアストロズ、シカゴカブスと渡り歩き286勝をあげ、1966年に現役を引退。1976年にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。
現役途中の1962年にキャリアをスタートさせたフィリーズで背番号「36」が永久欠番となった。また、本拠地であるシチズンズバンクパークには銅像が建っているほどの大投手だ。

ロバーツ選手は敢闘数が多いことでも知られ、1952年から1956年まで5年連続でリーグ最多の完投数を誇っていた。通算305完投はメジャーリーグ歴代36位の記録でもある。
ちなみに37位には同じく背番号「36」で永久欠番となっているペリー選手が303完投。これも何かの縁かもしれない。

現在は分業制が進んでいることもあり、この順位は当分の間、動くことはなさそうだ。

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