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日米の大投手が背負った投手ナンバー プロ野球における背番号34の選手たち

2024 9/8 06:00SPAIA編集部
ヤクルトの田口麗斗、西武の甲斐野央、DeNAの松本凌人,ⒸSPAIA
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2024年現役選手の背番号「34」

400勝投手の金田正一、「ライアンエクスプレス」ことノーラン・ライアンと、日米ともに大投手が背負っていた背番号34。2024年各球団の背番号「34」は下記の選手が背負っている。

阪神:漆原大晟投手
広島:高橋昂也投手
DeNA:松本凌人投手
巨人:永久欠番(金田正一)
ヤクルト:田口麗斗投手
中日:福敬登投手

オリックス:横山聖哉内野手
ロッテ:高野脩汰投手
ソフトバンク:村田賢一投手
楽天:山﨑剛内野手
西武:甲斐野央投手
日本ハム:堀瑞輝投手

永久欠番:1球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:2球団
外野手:0球団

巨人で永久欠番となっている金田の影響が大きく、投手の着用が多い。2024年シーズンも9球団が投手、そのうちヤクルト・田口麗斗や日本ハム・堀瑞輝など5球団で左腕が背負っている。

野手で背番号34をつけるのは楽天の山﨑剛と、オリックスのドラフト1位ルーキー・横山聖哉の2人。オリックスでは2021年まで吉田正尚(現レッドソックス)が背負っていた番号だけに、期待の大きさがうかがえる。

2024年のルーキーでは他にもDeNAのドラフト2位・松本凌人、ソフトバンクのドラフト4位・村田賢一が着用。西武では昨オフに山川穂高のFA移籍に伴う人的補償で加入した甲斐野央、阪神では現役ドラフトで加入した漆原大晟の移籍組がそれぞれ新たに背負っている。

そんな背番号「34」を着用していた日米の名選手や特徴的な球団の系譜を、次章以降で紹介していく。

ヤクルトでは永久欠番になっていない金田正一

日本プロ野球界で最も有名な背番号34は、国鉄(現ヤクルト)や巨人で活躍した金田正一だろう。金田氏は1950年に国鉄入りし、2年目の1951年から14年連続20勝以上を達成するなど3度の最多勝に輝いた。1965年から移籍した巨人では通算勝利数を400まで伸ばし、1969年をもって現役引退した。

引退後に1973年から1978年、1990年、1991年と通算8年にわたりロッテの監督を務めている。この際の背番号も現役時代と同じく「34」だった。

国鉄で353勝、巨人で47勝を挙げているが、国鉄では永久欠番とならず、巨人でのみ永久欠番となっている。国鉄の後継球団であるヤクルトの「34」は、現在も通常通り使用されており、外国人選手が背負うことが多い。

2001年以降ではニューマン、ベバリン、ガトームソン、シコースキー、リオス、八木亮祐、バーネット、デイビーズ、オーレンドルフ、山田大樹、田口麗斗と11選手が着用しており、うち8選手が外国人投手。現在背負っている田口には自身の色に染めるほどの活躍が期待される。

中日における背番号「34」

中日においては、2015年に現役を引退した山本昌が背番号34を1984年から32年間にわたり背負っていた。通算219勝、史上初の50代での登板など輝かしい実績を残したが「34」は永久欠番とならず、山本の引退翌年から福敬登が受け継いでいる。

山本の番号として印象強い中日の「34」だが、山本以前にも名選手が着用していた。「スピードガンの申し子」とも呼ばれた小松辰雄だ。

小松は1977年ドラフト2位で入団すると背番号34を与えられ、2年目の1979年から抑えとして活躍する。1981年からは先発もこなすようになり、初の規定投球回到達を果たしている。

その後、1984年からは星野仙一が背負っていた背番号20に変更。1985年に沢村賞を受賞するなど中日のエースとして一時代を築いた。

「ライアンエクスプレス」ことノーラン・ライアン

メジャーリーグに目を向けると、3球団で永久欠番となっているのがノーラン・ライアン。そのうちレンジャーズとアストロズの2球団は「34」だ。

ライアンは1966年にメッツでメジャーデビュー。以降、エンゼルス、アストロズ、レンジャーズとわたり歩き、通算324勝をマーク。メジャーリーグ史上最多の5714奪三振、ノーヒットノーラン7回など伝説的な投手で「ライアンエクスプレス」という異名がついた。

デビューを果たしたメッツでは永久欠番となっていないものの、エンゼルスでは背番号30が永久欠番となっている。現役引退後はレンジャーズ、アストロズのフロント入りした。

緑内障で早期引退したカービー・パケット

ツインズで12年間一度も移籍することなくフランチャイズプレーヤーとして活躍し、通算2304安打を放ったカービー・パケットは生涯を通じて背番号34だった。

メジャーデビュー3年目の1986年から1995年まで10年連続でオールスターゲームに出場。首位打者、打点王を各1度ずつ獲得した名選手だ。

パケットは35歳となった1995年も打率.314(538打数169安打)、23本塁打、99打点と堂々の成績を残していたが、緑内障のため右目を失明。現役引退を余儀なくされた。

1997年にはツインズにおいて背番号34が永久欠番に指定され、2001年にはアメリカ野球殿堂入りを果たしたが、2006年に脳卒中で死去。45歳とまだ若く、野球ファンに大きな悲しみを与えた。

レッドソックスのレジェンド、デービッド・オルティス

「ビッグパピ」ことデービッド・オルティスは1997年にツインズでメジャーデビューを果たすと、2003年からレッドソックスへ移籍。2006年には54本塁打、137打点で2冠王に輝くなど、2016年までレッドソックスで活躍した。

現役最後の年となった2016年も127打点を挙げてタイトルを獲得し、指名打者として長きにわたりチームに貢献。レッドソックスの34は永久欠番となっている。

気が短いことでも知られており、球審の判定に不満があるとバットでベンチ内の電話を破壊するなど荒っぽい一面もあったが、通算541本塁打のパワーでファンから愛される存在だった。

引退後はテレビ解説などで活躍していたが、2019年6月に飲食店で銃撃されて重体に陥った。全米のファンから心配されたが、9月のレッドソックス-ヤンキース戦の始球式に登板。元気な姿を見せて、地元ファンから大歓声を浴びた。2022年にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

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