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プロ野球における背番号34の名選手たち

2018 1/1 21:00cut
野球ボール,グローブ,バット
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中日ドラゴンズにおける背番号「34」

中日ドラゴンズにおいては、2015年に現役を引退した山本昌選手が背番号「34」を1984年から32年間にわたり着用していた。この「34」は中日の球団方針により永久欠番とならず、山本選手の引退翌年から福敬登選手が受け継いでいる。

山本選手の番号が印象強い中日の背番号「34」だが、山本選手以前にも名選手が着用していた。「スピードガンの申し子」とも呼ばれていた小松辰雄選手だ。

小松選手は、1978年ドラフト2位で入団すると背番号「34」を与えられ、2年目の1979年から抑えとして活躍する。1981年からは先発もこなすようになり、初の規定投球回到達を果たしている。
その後、1984年から背番号「20」に変更。1985年に沢村賞を受賞するなど中日の一時代を築いた投手となっている。

「ライアンエクスプレス」ことノーラン・ライアン選手

メジャーリーグ3球団で、永久欠番となっているのがノーラン・ライアン選手だ。そのうちテキサスレンジャーズ、ヒューストンアストロズの2球団は背番号「34」だ。
ライアン選手は、1966年にニューヨークメッツでメジャーデビュー。以降、カリフォルニアエンゼルス(現・ロサンゼルスエンゼルス)、アストロズ、レンジャーズと渡り歩き324勝をマーク。
奪った三振5714個はメジャーリーグ史上最多となっている。また、ノーヒットノーランを7回記録するなど伝説的な投手でもあり、「ライアンエクスプレス」との異名もつけられていた。

デビューを果たしたメッツでは永久欠番となっていないものの、エンゼルスでは背番号「30」が永久欠番に制定されている。現役引退後はレンジャーズ、アストロズのフロントとして活躍中だ。
アメリカでは日本と違い、現役引退後に監督、コーチとしてではなくフロントで辣腕を振るうことが多い。ライアン選手もその一人だ。

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