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ルーキーナンバー?プロ野球における背番号32の選手たち

2020 9/15 15:26SPAIA編集部
ロッテの佐藤都志也(左)とソフトバンクの柳町達ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「32」

2020年各球団の背番号「32」は下記の選手が背負っている。

西武:永江恭平内野手
ソフトバンク:柳町達外野手
楽天:アラン・ブセニッツ投手
ロッテ:佐藤都志也捕手
日本ハム:谷内亮太内野手
オリックス:ブランドン・ディクソン投手
巨人:堀田賢慎投手
DeNA:益子京右捕手
阪神:井上広大外野手
広島:白濱裕太捕手
中日:石垣雅海内野手
ヤクルト:松本直樹捕手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:3球団
捕手:4球団
内野手:3球団
外野手:2球団

2020年シーズンの背番号「32」は投手、捕手、内野手、外野手と各ポジションの選手が背負っている。柳町達(ソフトバンク)、佐藤都志也(ロッテ)、堀田賢慎(巨人)、井上広大(阪神)と新人が4人いるのも珍しい。

過去を振り返ると、背番号「32」で現役をスタートさせ、結果を残して若い番号へと移った選手も多い。松井稼頭央(現西武二軍監督)や西村徳文(前オリックス監督)、浅村栄斗(現楽天)らはそのパターンだ。

現在この番号を背負う選手たちも、将来的に若い番号へ移り変わっていくのだろうか。

松井稼頭央から浅村栄斗へ受け継がれた西武の背番号「32」

西武でトリプルスリーを達成するなど輝かしい実績を残した松井稼頭央。メジャーリーグ挑戦後、楽天を経て古巣・西武で現役を終え、2019年から二軍監督を務めている。

1993年のドラフト3位でPL学園から入団した際に与えられた背番号は「32」だった。2年目の1995年に一軍初出場を果たし、65試合に出場する。翌1996年から2003年まで全試合出場。ブレイクのきっかけとなる初めての全試合出場を果たした1996年オフに、背番号を「7」へと変更した。

松井が西武で「32」を背負った期間は3年と短かった。しかし、楽天に加入した2011年にも背番号「32」を背負った。

松井の後に犬伏稔昌、石井義人ら4選手を挟み、2009年から背番号「32」を背負ったのが浅村栄斗だ。大阪桐蔭からドラフト3位で入団し、3年目にレギュラーを獲得するとチームリーダーに成長。2017年に背番号「3」へ変更するまで2度の打率3割を記録し、2013年には打点王に輝くなど、強打の内野手としてチームを引っ張った。

2017年からは永江恭平がこの番号を背負っているが、松井、浅村のように開花できるか注目が集まる。

西村徳文前オリックス監督も入団時は「32」

2010年から2012年の3シーズンでロッテ、2019年から2020年シーズン途中までオリックス監督を務めた西村徳文も入団時は背番号「32」だった。1981年ドラフト5位で鹿児島鉄道管理局からロッテに入団。3年目の1984年にレギュラーを獲得すると、翌1985年には打率.311をマーク、さらに1986年には36盗塁で初のタイトルを獲得した。

この活躍によって翌1987年からは背番号「3」に変更。以降、盗塁王を3度、首位打者を1度獲得するなど実績を残した。

現役途中に二塁手から中堅手へのコンバートも経験しており、両ポジションでゴールデングラブ賞を獲得。走攻守三拍子揃った選手だった。

現役引退後はロッテのコーチを経て監督に就任し、1年目の2010年にはレギュラーシーズン3位ながらも、クライマックスシリーズ、日本シリーズを勝ち抜き日本一に輝いた。2012年に退任すると、2016年シーズンからはオリックスのコーチを務め、2019年から監督就任したが、2020年シーズン中に成績低迷のため辞任した。

ヤクルトで現役を終え横浜の監督になった大矢明彦と尾花高夫

ヤクルト一筋16年間で1552試合に出場し、1144安打を放った大矢明彦。1969年のドラフト7位で駒澤大学からヤクルトに入団した当初は「32」を背負っていた。

ドラフト下位指名だったが、1年目から93試合に出場すると、2年目からは正捕手として活躍。打撃タイトルの獲得はなかったが、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を6度獲得した。2年目の1971年から背番号「27」に変更し、引退まで背負い続けた。

大矢と同じくヤクルト一筋で現役を終えた尾花高夫。1977年のドラフト4位でプロ入りすると、2年目からローテーションに定着して6度の2桁勝利をマークするなど14年間で112勝をマークした。

尾花の背番号は入団から引退まで一貫して「32」。チームは低迷期だったがエース格としてチームを支えた。

この二人には共通点がある。現役引退後に横浜の監督を務めていることだ。大矢監督は2期(1996年、1997年、2007年から2009年)、尾花監督は2010年から2年間、指揮を執った。ヤクルトの「32」を背負った二人が他球団の監督を務め、2009年には大矢監督から尾花監督にバトンタッチしている。

ヤクルトの「32」は捕手が多く、大矢以降も小野公誠、新田玄気、現在も背負う松本直樹の3人が捕手として受け継いでいる。

サイ・ヤング賞3度のサンディー・コーファックス

メジャーリーグにおける伝説的な投手の一人であるサンディー・コーファックス。1955年にブルックリンドジャース(現ロサンゼルスドジャース)でメジャーデビューを果たす。

デビュー当初は目立った成績を残していなかったが、1961年に18勝13敗、269奪三振をマークしてブレイク。この年から1966年まで6年連続で2桁勝利を達成、しかも1962年から5年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。1963年、1965年、1966年とサイ・ヤング賞に3度も輝いた。

しかし、コーファックスは27勝9敗、防御率1.73、317奪三振で投手三冠に輝き、サイ・ヤング賞を受賞した1966年に突如として引退する。まだ30歳だったが、左肘の故障もあり「引退してからを健康に過ごしたい」という理由だった。

通算165勝87敗、2396奪三振、防御率2.76と輝かしい成績。圧倒的な投球はファンの脳裏に刻まれており、ドジャースで背負った背番号「32」は、野球殿堂入りを果たした1972年に永久欠番に制定されている。

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