プロ野球における背番号32の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号32の名選手たち


2017年現役選手の背番号「32」

2017年各球団の背番号「32」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:大累進選手(内野手)
ソフトバンク:塚田正義選手(外野手)
ロッテ:髙濱卓也選手(内野手)
西武:永江恭平選手(内野手)
楽天:枡田慎太郎選手(外野手)
オリックス:ディクソン選手(投手)
広島:白濱裕太選手(捕手)
巨人:橋本到選手(外野手)
DeNA:髙城俊人選手(捕手)
阪神:新井良太選手(内野手)
ヤクルト:風張蓮選手(投手)
中日:石垣雅海選手(内野手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:2球団
捕手:2球団
内野手:5球団
外野手:3球団

2017年シーズンの背番号「32」は投手、捕手、内野手、外野手と各ポジションの選手に与えられている。過去を見ると背番号「32」で現役をスタートさせ、結果を残し若い番号へと移っていく選手も多い。
松井稼頭央選手(現・楽天)、西村徳文選手(元・ロッテ監督)、浅村栄斗選手(西武)らがそのパターンだ。

現在、この番号を背負っている選手も将来的に若い番号へ移り変わっていくのだろうか。

3度のサイ・ヤング賞!サンディー・コーファックス選手

メジャーリーグにおける伝説的な投手のひとりであるサンディー・コーファックス選手。1955年にブルックリンドジャース(現・ロサンゼルスドジャース)メジャーデビューを果たす。デビュー当初は目立った成績を上げていなかった。
ブレイクしたのは1961年に18勝13敗、269奪三振の成績を残してからだ。この年から1966年まで6年連続で2桁勝利を達成。1962年からは5年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得する。1963年、1965年、1966年とサイ・ヤング賞にも3度輝いた。

しかし、コーファックス選手は1966年に突如として現役を引退する。引退年である1966年は27勝9敗、防御率1.73、317奪三振で投手三冠、サイ・ヤング賞を受賞とまさに全盛期と呼べる活躍ぶりだった。
通算成績は165勝87敗、2396奪三振、防御率2.76と200勝には届いていないが、圧倒的な投球でファンの脳裏にその投球は刻み込まれている。

引退の理由は『引退してからを健康に過ごしたい』ということからだった。現役引退後は解説者を経てドジャースのアドバイザーを務めている。

ドジャースで背負った背番号「32」は、野球殿堂入りを果たした1972年に永久欠番に制定されている。

松井稼頭央選手から浅村栄斗選手へ受け継がれた西武の背番号「32」

西武ライオンズでトリプルスリーを達成するなどの実績を残した松井稼頭央選手。メジャーリーグ挑戦後、東北楽天ゴールデンイーグルスでは、チームリーダーとして若いチームを引っ張っている。

1993年のドラフト3位でPL学園高校から入団した松井選手には、背番号「32」が与えられた。2年目の1995年から一軍で出場を果たすと65試合に出場する。翌1996年からはメジャーリーグ移籍を果たし、2003年まで全試合に出場を果たす。
そのブレイクのきっかけとなる初めての全試合出場を果たした1996年オフに、背番号を「7」へと変更した。松井が西武で「32」を背負った期間は3年と短かった。しかし、楽天に加入した2011年にも背番号「32」を背負い、愛着を見せてくれた。

その松井選手のあとに4選手を挟み、2009年から背番号「32」を背負っているのが浅村栄斗選手だ。大阪桐蔭高校からドラフト3位で入団した浅村選手は、3年目にレギュラーを獲得するとチームリーダーに成長。
2017年に背番号「3」へ変更するまで2度の打率3割を記録しするなど、強打の内野手としてチームを引っ張った。

浅村選手に代わり、2017年からは永江恭平選手がこの番号を背負っているが、松井選手、浅村選手のように開花できるか注目が集まる。

西村徳文元ロッテ監督も入団時は「32」

2010年から2012年の3シーズンに渡って千葉ロッテマリーンズを率いた西村徳文監督。就任1年目にはレギュラーシーズン3位ながらも、クライマックスシリーズ、日本シリーズを勝ち抜き日本一に輝いている。

西村監督は1981年ドラフト5位で鹿児島鉄道管理局(現・JR九州鹿児島支社)からロッテに入団。背番号「32」を背負うことになる。3年目の1984年にレギュラーを獲得すると、翌1985年には打率.311をマーク。さらには1986年に36盗塁で初のタイトルとなる盗塁王を獲得した。
この活躍により翌1087年からは背番号「3」へ出世。以降3度の盗塁王、首位打者を獲得するなどの結果を残している。

現役途中に二塁手から中堅手へのコンバートも経験しており、両ポジションでゴールデングラブ賞を獲得。走攻守三拍子揃った選手だったのだ。
現役引退後はコーチ、監督を務め、2012年までロッテのユニフォームを着ていたが監督退任と同時に退団。2016年シーズンからはオリックス・バファローズのヘッドコーチを務めている。

ヤクルトで現役を終え横浜の監督になったふたり

ヤクルトスワローズ一筋16年間で1552試合に出場し、1144安打を放った大矢明彦選手。1969年のドラフトでドラフト7位で駒澤大学からヤクルトに入団。
ドラフト順位から見てもわかるとおり、大きな期待をかけられていたわけではなかった。しかし、1年目から93試合に出場するなど結果を残すと2年目からは正捕手として活躍。
打撃タイトルの獲得はなかったが、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を6度獲得した名捕手だ。2年目の1971年から引退まで背番号「27」を背負っていたが、入団1年目は背番号「32」を背負っていた。

大矢選手と同じくヤクルト一筋で現役を終えた尾花高夫選手。
1977年のドラフト4位でプロ入りを果たすと、2年目からローテーションに定着。6度の2桁勝利をマークするなど14年間で112勝をマークした。尾花選手の背番号は入団から引退まで一貫して「32」。チームは低迷期だったがエース格としてチームを支えていた。

このふたりには共通点がある。現役引退後に横浜ベイスターズの監督を務めていることだ。大矢監督は2期(1993年、1994年、2007年から2009年)尾花監督は1期(2010年、2011年)それぞれ指揮を執った。
ヤクルトの「32」を背負ったふたりが他球団の監督を務め、2009年には大矢監督から尾花監督へバトンタッチをしているのだ。

ヤクルトの「32」は2017年シーズン、風張蓮選手が背負っているが果たしてどうなるだろうか。

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