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プロ野球における背番号30の名選手たち

2018 1/1 19:05cut
野球ボール,グローブ
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2017年現役選手の背番号「30」

投手、野手ともに着用することのある背番号「30」。 2017年各球団の背番号「30」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:鍵谷陽平選手(投手)
ソフトバンク:武田翔太選手(投手)
ロッテ:大嶺祐太選手(投手)
西武:岡本洋介選手(投手)
楽天:池田隆英選手(投手)
オリックス:岩﨑恭平選手(内野手)
広島:一岡竜司選手(投手)
巨人:宮國椋丞選手(投手)
DeNA:飯塚悟史選手(投手
) 阪神:石崎剛選手(投手)
ヤクルト:西田明央選手(捕手)
中日:阿知羅拓馬選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:10球団
捕手:1球団
内野手:1球団
外野手:0球団

古くは監督の背番号として使用されていた背番号「30」。2017年現在は主に投手の番号となっており、10球団で投手の番号だ。
このなかでエース級と言えるのは、福岡ソフトバンクホークスの武田翔太選手ただひとり。その他の選手から大きな実績を残す選手が現れることを期待したい。

読売ジャイアンツの監督が受け継いだ背番号「30」

東京六大学野球をはじめとした大学野球連盟の多くは、監督の背番号を「30」としている。これは、背番号を「30」までしか着用できない時代があり、監督が最も大きい番号をつけていたということに由来すると言われている。その影響もあり、プロ野球でも背番号「30」を背負う監督は多かった。
読売ジャイアンツは1936年の初代背番号「30」である浅沼誉夫監督にはじまり、1937年、1938年こそ監督ではないが、1939年以降は1960年まで三原脩監督時代の3年間をのぞいて全て監督が背負っていた。1939年から1942年までを藤本定義監督、その後中島治康選手兼任監督が着用。

三原脩監督が指揮を執った1947年途中から1949年にかけては、背番号「30」を中島選手がそのまま使用していた。三原監督の就任に伴い、中島選手が監督兼任を外れ選手専任となったため、監督の番号ではなくなったのだ。このとき、三原監督は背番号「31」だった。
その後、巨人の黄金時代を築いた水原茂監督が、1950年から1960年までの11年間にわたり背番号「30」を背負いる、その間に8度のリーグ優勝、4度の日本一にも輝いている。巨人において、11年間に渡り背番号「30」を背負ったのは選手を含めても最長タイだ。

水原監督が退団後に、背番号「30」をつけた監督はいない。今後巨人で、背番号「30」の監督は現れるのだろうか。そのためには、高橋由伸監督のように現役時代に活躍し、そのまま監督に就任するケースをまつことになりそうだ。

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