近年減ってるシュート使い
ストレートに近い球筋でホームベース付近において利き腕側に変化をする球種がシュートだ。近年ではツーシームを多用する投手が増えたこともあり、シュートを操る投手は減っている。
球速はストレートに近く、150キロ近いシュートを投げる投手も存在する。右投手が右打者、左投手が左打者に投げ込むことで打者は内角をえぐられる形となり、腰が引け、またスイングしても詰まらせられるので、凡打を打たせることに有効な球種だ。
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かつてはカミソリシュートの平松政次選手などが使用していたシュートだが、現在は使用する投手が減っている。 そんなシュートを操っているのはどのような投手なのだろうか。 今回はシュートボーラーを紹介する。
ストレートに近い球筋でホームベース付近において利き腕側に変化をする球種がシュートだ。近年ではツーシームを多用する投手が増えたこともあり、シュートを操る投手は減っている。
球速はストレートに近く、150キロ近いシュートを投げる投手も存在する。右投手が右打者、左投手が左打者に投げ込むことで打者は内角をえぐられる形となり、腰が引け、またスイングしても詰まらせられるので、凡打を打たせることに有効な球種だ。
シュートボールの代名詞と言えば、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の平松政次選手が挙げられる。
平松選手のシュートは「カミソリシュート」とも呼ばれ、右打者の胸元をえぐる鋭い変化球だった。そのシュートを武器に勝ち星を量産した平松選手は、巨人戦で51勝47敗の成績を残し、星野仙一選手、川口和久選手と並び巨人戦30勝以上かつ勝ち越しという記録を残している。
平松選手は通算で201勝をマークして名球会入り、そして2017年1月にはエキスパート部門表彰者として選出され野球殿堂入りを果たした。
千葉ロッテマリーンズの守護神として活躍し、「幕張の防波堤」とも呼ばれていた小林雅英選手。150キロを超えるストレートに球速がさほど変わらない高速シュート、そしてスライダーを武器に、2001年から2007年までの間チームの守護神を務め続けた。
その後、メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスにも移籍し、初年度から57試合に登板するなど活躍したが、2年目は結果を残せず日本へ帰国。所属したのはロッテではなく読売ジャイアンツだったが、巨人での小林選手はロッテ時代の輝きを放つことはできなかった。
その後、オリックス・バファローズへ移籍。2011年限りで引退となってしまうが、その後はオリックス、ロッテでコーチを務め、後進の育成を行っている。小林選手のようなシュートボーラーの誕生に期待がかかる。
1990年代における巨人キラーと呼べるのは、川崎憲次郎選手ではないだろうか。
川崎選手はヤクルトスワローズで2年目から2年連続2ケタ勝利を達成するなど、将来を嘱望されていた。3年目を故障で全休するも、復活した5年目には2ケタ勝利を挙げて優勝に貢献する。その後、長い低迷期に入るが1997年にシュートを習得すると復活。翌1998年には17勝を挙げるなど復活して沢村賞を獲得する。
巨人戦では無類の強さを発揮しており、通算88勝のうち3分の1にあたる29勝を挙げていた。晩年は中日ドラゴンズへ移籍したが、本来の力を発揮することはできなかった。しかし、巨人キラーだったことや、シュートの切れ味を忘れられることはないだろう。
1980年代の読売ジャイアンツを支えた江川卓選手、そして西本聖選手。2人はチームメートでありながらライバルとして巨人の優勝に大きく貢献した。
そんな西本選手の得意球はシュートだった。西本選手のシュートは、スピードではなく切れ味、変化で勝負をしていた。西本選手のシュートにおけるエピソードとしては、1987年の開幕戦が挙げられる。
この年、ロッテオリオンズから中日ドラゴンズへ移籍してきた落合博満選手に対して、4打席で全球シュートを投げ込んだのだ。結果は4打数1安打と落合選手をほぼ封じ込めた。三冠王3回という実績をひっさげてセリーグへ移籍してきた落合選手に得意球で真っ向勝負したのだ。
シュートを投げる投手は現在のプロ野球界にもいるが、決め球として使う投手は減少傾向にある。 これも時代の流れだろうか。今後、シュートボーラーが誕生することはあるのだろうか。 これからの変化球のトレンドに注目が集まる。