定義が曖昧なシンカーという球種
シンカーは利き手側に沈みながら落ちる球種だ。右投手が投じることが多くなっており、左投手が投げるとスクリューと呼ばれ、対になって使われることがほとんどだ。
厳密に言うと右投手がシンカー、左投手がスクリューとはならないが、違いを明確に説明することは難しいのだ。「縦に落ちるとシンカー、横に落ちるとスクリュー」「握りによって違う」など、さまざまな解釈があり議論がなされるが、投手の自己申告によるものも多くなっている。
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野球の投手が投げる変化球の1つに「シンカー」がある。 スライダーやフォークなどに比べると、現在の使い手はそう多くない。 その使い手の少ない「シンカー」を駆使している投手たちを紹介する。
シンカーは利き手側に沈みながら落ちる球種だ。右投手が投じることが多くなっており、左投手が投げるとスクリューと呼ばれ、対になって使われることがほとんどだ。
厳密に言うと右投手がシンカー、左投手がスクリューとはならないが、違いを明確に説明することは難しいのだ。「縦に落ちるとシンカー、横に落ちるとスクリュー」「握りによって違う」など、さまざまな解釈があり議論がなされるが、投手の自己申告によるものも多くなっている。
日本でシンカーという球種を定着させたと言っても過言ではないのが潮崎哲也選手だ。1989年のドラフトで西武ライオンズから1位指名され入団。1年目から43試合に登板して中継ぎとして活躍した。当時の西武では鹿取義隆選手が守護神とて君臨していたが、潮崎選手の入団によりダブルストッパーとなったのだ。
その潮崎選手の代名詞がシンカーだった。ストレートとシンカー、そしてスライダーを駆使し、その緩急、左右の変化で打者を翻弄していたのだ。2004年に現役を引退したが、現在でもシンカーボーラーといえば潮崎選手の名前が多く挙がるほどのインパクトだった。
ヤクルトスワローズの守護神として活躍した高津臣吾選手も、シンカーボーラーとして一世を風靡した。1990年にドラフト3位でヤクルトに入団した高津選手は、中継ぎ投手として活躍。最優秀救援投手に4度輝いてチームの黄金時代を支えた。その時の決め球がシンカーだったのだ。
2004年からはシカゴ・ホワイトソックスへ移籍してメジャーリーグでプレー。初年度もシンカーでアウトを積み重ね「ミスターゼロ」と呼ばれるなど59試合に登板して6勝4敗19S、防御率2.31の成績を残す。2年目以降はなかなか通用せず、2006年にヤクルトへ復帰して2年間プレー。
その後、韓国、台湾、日本の独立リーグなどでプレーを続け、2017年はヤクルトの投手コーチとして活躍している。
第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で先発投手陣の一角として活躍した千葉ロッテマリーンズの石川歩選手もシンカーボーラーだ。石川選手はシンカー、カーブと逆方向に変化させる2球種をストレートと組み合わせて打者に的を絞らせない。
石川選手は今でこそシンカーを操る一流の投手だが、大学時代は無名の存在だった。その当時、新たな球種をマスターするためにシンカーを投げ始めたのだ。今回のWBCでも東京ヤクルトスワローズの秋吉亮選手に高津コーチ直伝の握りを教わったと報道された。直接の面識がなくてもシンカーは高津選手から石川選手へと受け継がれていたのだ。
2008年のドラフト5位で福岡ソフトバンクソークスに入団した攝津正選手。入団初年度から70試合に登板し、34ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手、新人王を受賞する。その後も、先発投手に転向して2012年に沢村賞を獲得するなど、球界を代表する投手にまで成長した。
その攝津選手は、ストレート、シンカー、スライダー、カーブを多く投げ、球速は140キロ前後と速くないが、打者のタイミングを外して翻弄する。特にシンカーは、状況、打者の特徴によって2種類を投げ分けている。2016年シーズンは開幕投手を任されたものの、2勝しか挙げることができずに苦戦したが、シンカーを武器に這い上がってくることを期待する。
代表的なシンカーボーラーはそう多くない。2017年現在では、今回も取り上げた石川選手が最も有名な選手だろうか。 多くの選手が投げないからこそ、希少価値が生まれ、これを操る投手が相手を抑え込めるようになるのかもしれない。 今後、新たなシンカー使いが現れることを期待する。