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U-18野球ワールドカップの歴代監督と成績、悲願の初優勝に導くのは誰だ?

2022 9/21 06:00SPAIA編集部
エドスミススタジアム,Ⓒゲッティイメージズ
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馬淵史郎監督が率いた2022年大会は銅メダル

米フロリダ州で開催されていた第30回WBSC U-18ベースボールワールドカップは全日程を終了し、馬淵史郎監督(明徳義塾)が率いる高校日本代表「侍ジャパン」は2017年以来の銅メダルを獲得した。スーパーラウンド初戦で0-8と大敗した韓国に3位決定戦で雪辱。優勝は決勝で台湾を下したアメリカだった。

2022年で30回目の同大会は、かつて「AAA世界野球選手権大会」として開催されていたが、夏の甲子園と開催時期が重なるため日本は不参加が多かった。初めて甲子園出場選手を中心とした本格的な高校日本代表として出場したのが、9月開催となった2004年。横浜の渡辺元智監督が指揮を執った第21回大会以降、日本代表を率いた歴代監督と成績を紹介する。

2004年大会は渡辺元智監督で準優勝

2004年のAAA世界野球選手権大会で監督を務めたのが、当時横浜を率いていた渡辺元智氏。自身も同校を卒業し、神奈川大を中退後の1965年に同校野球部長に就任。3年後に24歳で監督に就任した。

2015年夏の大会後に勇退するまで春夏合わせて27回甲子園に出場。1998年には松阪大輔を擁して史上5校目となる春夏連覇を達成した。甲子園通算51勝は、帝京の前田三夫監督と並び歴代5位タイの名将だ。

2004年に高校日本代表の監督に就任すると、横浜の涌井秀章(現ロッテ)や石川雄洋(元DeNA)、東北のダルビッシュ有(現パドレス)、優勝した済美の福井優也(現楽天)や鵜久森淳志(元ヤクルト)らを招集。決勝でキューバに敗れたものの、準優勝に輝いた。

ちなみに当時のキューバ代表には現在、ソフトバンクで活躍するアルフレド・デスパイネがいた。

日大三・小倉全由監督の下、豪華メンバー集結も6位

2012年大会では、現在も日大三で監督を務める小倉全由氏が指揮を執った。選手時代は日大三でプレーし、卒業後は日大へ進学。卒業後の1981年から関東一の監督に就任した。

関東一では三輪隆(元オリックス)を擁して1987年センバツで準優勝。1997年から母校・日大三に移り、2001年にはエース近藤一樹(元ヤクルト)と野手3人も含めて計4人がプロ入りした超強力打線を育て上げ、夏の甲子園を制覇した。2011年にもエースの吉永健太郎に高山俊(現阪神)や横尾俊健(現楽天)らを擁して、2度目の全国制覇を達成している。

2012年の高校日本代表は、大阪桐蔭の藤浪晋太郎(現阪神)、花巻東の大谷翔平(現エンゼルス)らが選出され、豪華メンバーで臨んだ。だが、結果は6位。甲子園の直後に行われ、急造チームで臨む国際試合の難しさを思い知る結果となった。

2大会連続で指揮を執った大阪桐蔭・西谷浩一監督

2013年、2015年と2大会連続で指揮を執ったのが、大阪桐蔭の西谷浩一監督だ。現役時代は報徳学園でプレーし、卒業後は一浪して一般入試で関西大学へ進学。4年生時にはレギュラーではなかったものの、主将としてチームをまとめた。

卒業後は母校の報徳学園でコーチをしていたが、大阪桐蔭の長沢和雄監督に誘われ、1993年に同校野球部長に就任。1983年に大阪産業大学高校大東校舎として誕生した同校は、1988年に大阪桐蔭となったばかりだった。

野球部も創設されて間もなかったが、1991年には夏の甲子園で初出場初優勝。新鋭として大阪の中でも存在感を出しつつある高校だった。誰もが知る強豪校となった現在の大阪桐蔭の礎を築いたのが長沢氏で、その跡を継ぐ形で1998年に西谷監督が就任した。

2002年には西岡剛(元阪神)らを擁して、監督就任後初めて甲子園に出場。2008年には浅村栄斗(現楽天)を擁して初の全国制覇も果たした。2012年には藤浪晋太郎や森友哉(現西武)らの活躍もあり、史上7校目の春夏連覇を達成した。

厳しい上下関係を撤廃し、下級生にも平等な練習時間を与えてじっくりと育成する指導方針。有望な選手がいると聞けば、自らスカウトに出向くフットワーク。古い体質が残る高校球界に、新しい考え方を持ち込んだ監督の一人だろう。

西谷浩一監督は2大会連続準優勝

2013年、高校日本代表を率いる西谷監督は済美の安樂智大、桐光学園の松井裕樹(ともに現楽天)、瀬戸内の山岡泰輔(現オリックス)ら豪華投手陣を選出。さらに山岡と広島県大会決勝で死闘を演じた広島新庄・田口麗斗(現ヤクルト)も甲子園に出ていない高校ながら選出した。

大会では、大阪桐蔭の教え子でもある森友哉が打率.406(32打数13安打)をマーク。決勝でアメリカに敗れはしたが見事、準優勝に輝いた。

日本で開催された2015年の大会では、当時1年生だった早稲田実・清宮幸太郎(現日本ハム)が選出されたことで大きな話題となった。他にも関東一・オコエ瑠偉(現楽天)や仙台育英・平沢大河(現ロッテ)、東海大相模・小笠原慎之介(現中日)、県岐阜商・高橋純平(現ソフトバンク)ら後にドラフト1位でプロ入りする選手たちも多かった。

そして大会では最大の壁だったアメリカ(当時2連覇中)に第1ラウンドで勝利。順調に勝ち進み、悲願の初優勝も期待された。しかし、決勝ではアメリカにリベンジされ、2大会連続の準優勝に終わった。

小枝守監督率いる2017年大会は3位

2017年大会で指揮を執ったのは、拓大紅陵の小枝守元監督だった。自身は日大三から日大に進学し、卒業後は1976年から81年まで日大三の監督を務め、1979年夏の甲子園に出場している(1回戦で天理に敗退)。その後、1982年から千葉県の拓大紅陵に転任した。2014年の夏の大会後に退任するまでの間に、春夏合わせて9回の甲子園出場、通算10勝を記録した名将だった。

拓大紅陵を退任後、2016年に高校日本代表の監督に就任。同年のU-18アジア選手権大会では作新学院の今井達也(現西武)や履正社の寺島成輝(現ヤクルト)、横浜の藤平尚真(現楽天)ら甲子園を沸かせた選手を擁し、見事に優勝を果たしている。

しかし、翌2017年のU-18ワールドカップでは、超高校級スラッガー清宮幸太郎や甲子園1大会6本塁打の新記録を樹立した広陵・中村奨成(現広島)らを擁したものの、決勝進出を果たせず。3位決定戦でカナダに快勝し、銅メダルで大会を締めくくった。

2019年は永田裕治監督で5位

2019年大会は報徳学園の永田裕治元監督が指揮を執った。金村義明と同級生だった自身も高校時代に全国制覇。中京大卒業後に大阪・桜宮のコーチを経て1990年から母校の監督となった。

2002年センバツで大谷智久(元ロッテ)を擁して優勝するなど春夏合わせて18回甲子園に出場し、通算23勝を挙げた。2017年センバツを最後に監督を退いたが、2018年から高校日本代表の監督に就任。2019年U-18ワールドカップでは、大船渡・佐々木朗希(現ロッテ)、星稜・奥川恭伸(現ヤクルト)、東邦・石川昂弥(現中日)らを選出して臨んだ。

日本はグループリーグを首位通過。しかし、スーパーラウンドでカナダには勝ったものの、韓国とオーストラリアに敗れ、5位に終わった。

その後、永田監督は静岡の日大三島監督に就任。2022年センバツで同校を38年ぶりの甲子園に導いている。

U-18ワールドカップでは高校野球歴代の名将が監督を務め、豪華メンバーが招集されながら、いまだ優勝を果たしていない。夏の甲子園直後に行われるためコンディション調整が難しく、急造チームで連係プレーの練習などに時間を取れないこともあるだろう。果たして、日本を大会初優勝に導いてくれる監督は誰になるのだろうか。

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