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名球会入りが7人誕生した1968年ドラフト会議を振り返る

2017 8/3 12:07cut
野球ボール
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下位指名では異色の人物も

下位指名からもプロ入り後に活躍を果たした選手もいる。中日がドラフト9位で指名した島谷金二選手(四国電力)がその一人だ。島谷選手は過去にサンケイスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)、東映、東京から3度の指名を受けていたが入団に至らなかった。しかし、通算4度目の指名となったこの年は入団に合意。1年目でレギュラーを獲得し125試合に出場を果たしている。
中日、阪急で14年間の現役生活を行い1682試合に出場し1514安打を放つ活躍。ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を4度受賞するなど攻守にわたり結果を残している。4度のドラフト拒否をしたものの、それでも指名された実力をプロの世界でも見せつけた。
また、東京は9位で飯島秀雄選手(茨城県庁)を指名。飯島選手は100メートル競走の日本記録保持者でもある陸上競技界の第一人者でもあった。飯島選手は代走専門として1969年から1971年までの3年間プレーし、通算23盗塁を記録している。また、一軍で打席に立つことはなかった。
ドラフト会議で指名され球団も獲得した時点では、選手の未来はもちろん何もわかっていない。しかし、数十年後に振り返ると、その年に巡り合わせた選手たちがいかに大物であったかを知り、その運命に驚くこともある。
将来を担う選手を見定めるドラフト会議。今後のドラフト会議でもその結果が数十年後、この1968年第一回ドラフト会議のように、あっと驚くような豊作となっているのかもしれない。そんな夢想をしながら見つめていきたい。

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