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記念すべき第1回!1965年のドラフト会議を振り返る

2017 8/3 12:07cut
野球ボール,グローブ,バット
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1965年に第1回ドラフト会議が開催

1965年は記念すべき第1回のドラフト会議が行われた年だ。それ以前は、完全に自由競争で各球団が選手を獲得しており、選手への契約金の高騰、戦力の偏りが問題視されていた。そのために、プロ野球にドラフト制度が導入されたのだ。
メジャーリーグ(MLB)も1965年に第1回のドラフト会議が行われており、野球のドラフトは日米同年度に開始となった。そのために日本のドラフトはMLBを参考にしたわけではなく、1936年から行われているアメリカンフットボール(NFL)を参考にした。
現在のようにパソコンはなく、テレビのモニターに指名選手が表示されることもなかった。また、指名選手の上限は30名までとなっており、実際に広島カープは18名、西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)は16名の指名を行っている。
1位指名に関してはその場で指名を行っていくのではなく、事前に提出していた30名の順位が割り振られた名簿から選ばれる方式だった。各球団の重複がなければ名簿内の1位がそのまま交渉権獲得となり、重複した場合に抽選を行う方式だ。
1位指名で抽選となったのは森安敏明選手(関西高)、田端謙二郎選手(電電九州)の2名のみだった。森安選手は東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)とサンケイスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)が抽選を行い東映、田端選手は近鉄バファローズと広島カープが抽選の末に近鉄がそれぞれ交渉権を獲得している。
2位指名以降は抽選をおこなわずウエーバー方式、逆ウエーバー方式を採用したため、第1回のドラフトで抽選はこの2名となった。
第1回ドラフト会議は波乱なく進んでいった。

1位指名は8名が高校生

各球団の1位指名選手は即戦力ではなく、将来性を買われての高校生が12球団中8名を占めた。森安選手の抽選を外したサンケイは、河本和昭選手(広陵高)を指名するが、入団を拒否される。初のドラフト会議から1位指名の入団拒否が起こっていたのだ。その他の11名は全員プロ入りを果たしている。
栄えある1位指名選手の中で最も活躍したのは巨人の堀内恒夫選手だ。1年目から16勝2敗の成績を残し最優秀防御率、最高勝率を獲得。さらには、新人王を受賞するなど高卒1年目とは思えない活躍をみせた。18年間で203勝をマークし巨人のレジェンドとしても知られている。現役引退後は巨人の監督も務めるなどの実績を残し野球殿堂入りも果たした。
また、「ミスターブレーブス」の異名をとった長池徳二選手(現:長池徳士)も第1回ドラフトで1位指名された選手の一人だ。1979年に現役を引退するまでに3度の本塁打王、打点王を獲得。MVPも2度受賞したレジェンドでもある。

【第1回ドラフト:各球団1位指名選手】
巨人:堀内恒夫選手(甲府商業高)
中日:豊永隆盛選手(八代第一高)
阪神:石床幹雄選手(土庄高)
大洋:岡正光選手(保原高)
広島:佐野真樹夫選手(専修大)
サンケイ:河本和昭選手(広陵高)※入団拒否
南海:牧憲二郎選手(高鍋高)
東映:森安敏明選手(関西高)
西鉄:浜村孝選手(高知商業高)
阪急:長池徳二選手(法政大)
東京:大塚弥寿男選手(早稲田大)
近鉄:田端謙二郎選手(電電九州)

※南海は現在の福岡ソフトバンクホークス
※東京は現在の千葉ロッテマリーンズ

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