MLB通算178発打者が開幕前に電撃退団
3月29日に新シーズンの開幕を控えるプロ野球。オープン戦も全日程を終え、待ちに待った“球春到来”ムードが徐々に高まってきた中、26日の夜に衝撃の一報が飛び込んできた。
巨人が新外国人選手ルーグネッド・オドーアの退団を発表。球団のリリースによると「3月29日の開幕戦のメンバーからは外れるためファームで調整するよう提案したところ、本人から米国に戻りたいと退団の申し出があった」とのことで、「球団としても本人の意向を尊重して受け入れました」と説明している。
オドーアはベネズエラ出身の30歳、右投左打の外野手。MLBでは2015年から2022年まで8年連続で2ケタ本塁打をマークし、レンジャーズ時代の2016年と2017年、2019年にはシーズン30発も達成しているスラッガー。MLB通算178本塁打の看板を引っ提げ、新生・阿部巨人にやってきた。
2月15日にチームの2次キャンプ地・沖縄入りした際には、トレードマークとなっていたひげをすべて剃った状態で登場。その“別人”ぶりは大きな話題となり、同時に新天地の伝統やルールをしっかりと頭に入れたうえで来日した姿勢を好意的に捉える声も多くあがっていた。
ところが、オープン戦では12試合に出場も打率.176で本塁打ゼロと低迷。同じ外野のポジションでルーキーや若手が良いアピールを続けたこともあって、シーズン開幕時の一軍メンバーの構想から外れることとなる。そこで待ち受けていたのが、来日1年目のシーズンを目前に退団・帰国という思いもよらぬ決断だった。
オドーアを上回る「28日退団」
巨人では2011年にブライアン・バニスターが開幕を前にした3月16日に無断で帰国し、シーズン開幕後も戻ってくることなく“引退”となった例があるが、シーズン開幕前に来日1年目の外国人選手が退団するというのは異例中の異例だ。
2月15日の来日から、わずか40日間でのスピード退団。しかし、プロ野球の歴史を振り返ってみると、このオドーアを上回る「28日退団」という記録を持つ外国人選手がいた。2003年、ロッテに在籍したロバート・ローズである。
ロッテに在籍したのは1カ月にも満たない短時間だったが、この名前を憶えているプロ野球ファンは多いはず。NPBではロッテの前に1993年から2000年まで横浜(現・DeNA)で8年にわたってプレーをし、首位打者1回に打点王2回、最高出塁率1回に最多安打2回、ベストナインは6回も受賞。「マシンガン打線」の中核として1998年の優勝と日本一に大きく貢献した伝説の助っ人だった。
2000年に横浜を退団した後はアメリカに帰国するも球団からのオファーはなく、そこから2年間は所属なし。それでも、娘が通う高校でコーチを務める中で野球への想いが徐々に再燃。実戦の機会こそないもののトレーニングを続けていると、2002年のオフにロッテから声がかかり3年ぶりの“現役復帰”が叶う……かと思われた。
ところが、春季キャンプ中の実戦3試合で8打数無安打と結果を残すことができず。すると2月19日には「野球への情熱がなくなった」として自ら球団に申し出て、1月22日の来日からわずか28日での退団と現役引退が決まった。
“真面目すぎ”が故に…
実はローズの引退騒動はこの時が初めてではなかった。
横浜を頂点に導いた翌年の1999年、この年もプロ野球史上初となる自身3度目のサイクル安打を達成、同じく史上初となる「前半戦で100打点到達」という記録まで打ち立てるほど好調で、最終的には134試合の出場で打率.369、37本塁打、153打点というキャリア最高の成績を残すのだが、シーズン中の6月8日に突然の“引退宣言”をして周囲を驚かせている。
その背景には家族を大切にしたい想いや、契約面の不満などもあったことが後に語られているが、この時は妻や当時の監督・権藤博の説得によって引退は撤回。その後は2000年までプレーを続け、その年のオフに権藤とともにチームを去った。
こうした過去の例を振り返ると自分勝手な印象を持たれてしまうかもしれないが、ローズにとってはチームのために全力を尽くすことがすべて。それができずにチームに迷惑をかけることを何よりも嫌った。
たとえ自慢の打棒に陰りが見られなくとも、守備や走塁でチームに貢献できないと思えば自らの意思で身を引く。後釜探しなども考えた時に、チームのためには早く決断を下すべき。そんな“真面目すぎる”部分が、横浜やロッテでの騒動の原因となっていたことは付け加えておきたい。
ちなみに、ローズは2023年11月に独立リーグ・九州アジアリーグの火の国サラマンダーズの監督に就任。再び日本に拠点を置くこととなったのだが、今年2月に家族の都合で帰国することが決定。監督としても就任から3カ月、シーズン開幕を迎える前に退団となってしまった。
ローズは球団を通じて「熊本は本当に素晴らしい場所だったので、家族と共に永く生活をしたいと心から思っていましたがシーズン前に帰国することになり残念です。近い将来日本で野球に携わりたいと思っておりますので、皆様にお会いできるのを楽しみにしております」とコメント。
“横浜史上最強助っ人”として球史に名を残しながら、千葉と熊本では志半ばで挑戦を終える形が続いているレジェンド助っ人。「近い将来日本で野球に携わりたい」という願いが叶う日はやってくるだろうか。
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