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中日ドラゴンズ歴代投手の通算勝利数ランキング 現役トップは大野雄大の84勝、歴代1位は?

2023 1/21 06:00SPAIA編集部
中日の大野雄大,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

歴代1位は山本昌で219勝

立浪和義監督就任1年目は最下位に沈んだ中日。貧打に悩まされた一方で、チーム防御率はリーグ2位の3.28、失点もリーグで2番目に少ない495と、伝統の投手力は健在だった。

その強固な投手陣を支えているのが投手キャプテンを務めた大野雄大。23試合に先発して8勝を挙げ、4年連続規定投球回をクリアするなどエースとして牽引した。2023シーズンにはプロ13年目を迎える左腕が、ここまで積み上げてきた勝利数は84。現役ではチームトップだ。

では、これまでの球団史の中で最多の勝利を挙げた投手は誰だろうか。中日在籍時の通算勝利数ランキングを紹介する。

中日投手の歴代通算勝利数ランキング


歴代1位は山本昌の219勝だ。日大藤沢高から1983年ドラフト5位で入団し、2015年まで実に32年マウンドに立ち続け、6度のリーグ優勝、1度の日本一を経験した。プロ入り後4年間は鳴かず飛ばずだったが、5年目に5勝を挙げてブレイク。93、94、97年と3度の最多勝を獲得し、94年は沢村賞にも輝いた。

その後も41歳1か月でノーヒットノーラン、49歳25日での先発勝利など数々の最年長記録を打ち立て、50歳を迎える15年まで投げ続けた。現役引退後は評論家として活躍し、22年には野球殿堂入りを果たしている。

2位は211勝で杉下茂。明治大専門部から1949年に入団すると、快速球と魔球フォークを武器に51年に28勝、54年に32勝を挙げ、最多勝を獲得。54年は最優秀防御率とMVPにも輝き、球団初の優勝、日本一へと導いた。61年に大毎(現ロッテ)へ移籍し、同年限りで現役を引退。85年に野球殿堂入りしている。

146勝で「闘将」星野仙一が3位

3位は146勝をマークした星野仙一。倉敷商高から明治大を経て1968年ドラフト1位で入団すると、1年目から先発、リリーフでフル回転した。74年には15勝9敗10セーブで初代セーブ王と沢村賞に輝き、巨人のV10を阻止。球団20年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献した。

チームがリーグ優勝を果たした82年に3勝5敗と自己最低の成績に終わり、引退を表明。87年に監督へ就任し、88年には球団生え抜きの監督として初のリーグ優勝を達成している。2003年には阪神監督としてリーグ優勝、13年には楽天監督として初の日本一へ導き、史上3人目となる3球団でのリーグ優勝を達成。17年に野球殿堂入りしている。

4位は鈴木孝政で124勝。成東高から1972年ドラフト1位で入団すると、快速球を武器に2年目にリリーフとして頭角を現し、35試合に登板してリーグ優勝に貢献。以後は先発、リリーフとフル回転してチームを支えた。78年に右ヒジを痛め、技巧派にモデルチェンジ。84年に16勝でカムバック賞を受賞した。89年限りで現役を引退している。

5位は122勝で小松辰雄。星稜高から1977年ドラフト2位で入団すると、先発に転向した81年に初の2桁となる12勝をマークした。85年には最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、沢村賞と投手タイトルを総なめ。87年にも17勝を挙げ、自身2度目の最多勝を獲得した。94年限りで引退し、95年は二軍投手コーチ、96~97年まで一軍投手コーチを務めた。

6位は117勝で川上憲伸。徳島商高から明治大を経て1997年ドラフト1位で入団すると、1年目から先発ローテーションに定着し、14勝をマーク。新人王にも選ばれた。その後は、チームのエースとして投手陣を引っ張り、2002年にはノーヒットノーランを達成、04年には17勝でリーグ優勝に貢献し、沢村賞にも輝いた。

06年には再び17勝を挙げて最多勝を獲得し、リーグ優勝に貢献。08年オフに海外FA権を行使してMLBのブレーブスへ移籍、3年間で22勝を挙げた。12年に中日へ復帰し、15年限りで退団した。

100勝100セーブ達成した郭源治は8位

7位は服部受弘で112勝。旧制・岡崎中から日本大を経て1939年に名古屋軍(中日の前身)へ捕手として入団。3年目の41年に8本塁打で単独の本塁打王に輝くなど、強打の捕手として活躍したが、42年に応召された。

プロ野球が再開された46年に中部日本軍(中日の前身)へ復帰。シーズン途中に投手へ転向すると、初登板初勝利を挙げるなど14勝をマークした。49年には自己最多の24勝、54年には主将として初優勝、日本一に貢献した。現役時代に付けていた背番号10は永久欠番となっている。

8位は郭源治の106勝。台湾出身の右腕は1981年、24歳の時に中日へ入団。3年目の83年に初の2桁となる10勝を挙げると、そこから4年連続で2桁勝利をマークした。87年から抑えに転向し、88年には61試合に登板して7勝6敗37セーブ、防御率1.95の好成績で最優秀救援投手とMVPに輝き、胴上げ投手にもなった。翌89年には日本に帰化。中日一筋16年で通算496試合に登板、106勝106敗116セーブの成績を残した。

9位は105勝の三沢淳。江津工高から新日鉄広畑を経て1970年ドラフト3位で入団したサブマリン。73年に初の2桁となる10勝を挙げるなど、在籍13年間で5度の2桁勝利をマークした。84年のオフに日本ハムへ移籍し、86年限りで引退した。

10位は松本幸行の98勝。大商大付高からデュプロを経て1969年ドラフト4位で入団した左腕は「早投げ」が代名詞だった。投球間隔の短いテンポのいい投球を武器に、5年目の74年に20勝で最多勝に輝き、球団20年ぶりのリーグ優勝にも貢献。72年から5年連続で2桁勝利をマークした。80年にトレードで阪急へ移籍し、翌81年限りで現役を引退した。

84勝の大野雄大は惜しくもトップ10には届かなかった。中日は歴代最多勝の山本昌に、NPB記録となる最多登板(1002登板)及び通算最多セーブ(407S)を誇る岩瀬仁紀と、息の長い左腕を輩出している。大野には偉大な先輩たちに続き、1年でも長く現役を続けて勝ち星を積み上げてもらいたい。

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