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江本孟紀氏がズバリ指摘「世渡り下手」なノムさんが24年も監督を務めた理由

2023 1/16 06:00小山宣宏
江本孟紀氏,江本エンタープライズ提供
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江本エンタープライズ提供

2020年2月に野村監督が亡くなって3年

野球解説者の江本孟紀氏が2022年12月に『野村克也解体新書』(清談社Publico)を上梓した。50年近くの付き合いのなかで江本氏が見た「野村克也」という人間について、本書のなかで余すことなく語っている。ここではその一部を抜粋する。

「処世術が下手だった」のは一種の照れ隠し

僕は「野球人・野村克也」も「人間・野村克也」も両方の顔を見てきた。どちらが何年だったのか、という明確な区分けはできないが、どちらも半世紀近くにわたって見続けてきたのだから、それ相応の人間関係だったとも言えよう。

ただし、野村監督とベタベタした関係だったわけではないし、そうかと言って乾き切っていた関係でもない。一時期は仲たがいするようなこともあったが、ほとぼりが冷めるとまたお互いに話をして、それまで通りの関係に戻った。僕と野村監督の関係は他人が見たときに不思議に思われたかもしれない。

けれども僕はそんな関係を楽しんでいた。今思えば、「不思議なオッサンだったな」と思うことも多々ある。

一例を挙げると、「オレは処世術が下手だった」という言葉。野村監督はおべんちゃらが使えないので、他の人と比べると人間関係で大損していたということは、著書のなかでもよく語られていることだ。けれども僕は、野村監督のその言葉を額面通りには受け取っていない。

考えてみてほしい。世渡りが下手な人間が、通算24年間も監督を務められるだろうか。プロの世界で南海、ヤクルト、阪神、楽天と4球団で監督を務め、1565勝1563敗76分と、勝ち越しがわずか2しかないのは、「弱いチームを率いた証拠」ととらえるファンもいるが、阪神では3年間、楽天では監督初年度(06年)の1年間、4年連続で最下位だった。つまり、「弱いチームは弱いまま」だったのである。

それでも野村監督は24年も監督を務めることができた。その理由をあえて挙げるならば、野村監督は監督を務める球団のトップから評価されていたからだと僕は考えている。南海時代の川勝傳オーナー、ヤクルト時代は相馬和夫球団社長、阪神時代は久万俊二郎オーナー、楽天時代は三木谷浩史オーナーらとしっかりコミュニケーションをとっていた。つまり、野村監督の言うところの「おべんちゃらが使えない」というのは、野村監督流の一種の照れ隠しのようなものだ。

それらを踏まえてみても、野村監督の野球人生は、まさに波乱万丈だった。極貧の少年時代を過ごし、テスト生として南海に入団。その後は鶴岡さんに見出されてスター街道を歩んでいく。途中、サッチーが原因で監督の座を2度も退くことがあったが、70歳を過ぎてもなお監督の座に居続けて、足掛け24年も務め上げることができた。まさに野球があったからこそ、光り輝いた人生だったと言っても過言ではない。

野村克也のような人物はもう二度と出てこない

野村監督はコロナが蔓延する直前に亡くなった。もし野村監督が今も健在で、鳴り物のない今の応援スタイルのプロ野球を見てどう感じているのだろうか。野村監督が亡くなる直前、あるいは亡くなった後に野球界に飛び込んできた阪神の佐藤輝明や巨人の大勢、DeNAの牧秀悟、中日の岡林勇希、ロッテの佐々木朗希といったスター候補生たちを見てどんな批評が飛び出すのか、聞いてみたい気もする。

一方でこんな見方もしている。野村監督のような人物は、野球界ではもう二度と出てこないということだ。生き抜いた時代が違うし、そもそも野球界における人間関係の厳しさも昔と今ではまったく違うと言えばそれまでだが、選手としても多大な実績を残し、監督としても1500以上勝った監督というのは、未来永劫登場しない可能性が高い。それだけに、野村克也という野球人は、誰からも比較されることのない、稀有な存在だったとも言える。

今のプロ野球の試合を見たときに、野村監督はきっと物足りなさを感じたり、あるいは消化不良に感じる面があるに違いない。そんな光景を目にした野村監督からは、

「もっときめ細かい野球ができないのか」

「あんな作戦を平気でよしとするから、チームが勝てないんだ」

こんなボヤキが聞こえてきそうだが、そんなときには、「いやいやあなただって勝てない時期はあったでしょう」とツッコみたくなる。けれどもそうしたツッコミさえも許さないのが、野村監督が持っている圧倒されるような存在感なのだ。

「今、最下位にいるチームはどう立て直せばいいでしょうか?」

「あのチームの監督が辞任しました。どんな人が監督にふさわしいと思いますか?」

こうした質問を野村監督にしたときに、返ってくる答えは一つだ。

「つべこべ言わず、オレにそのチームを任せればいいじゃないか」――。

ドヤ顔でニヤリと答える野村監督のあの姿を、もう見ることができないのは、本当に寂しい限りである。

野村克也解体新書

清談社Publico


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