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江本孟紀氏だけが知る巨人・原辰徳監督が名将となったきっかけ

2020 10/1 06:00小山宣宏
巨人・原辰徳監督ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

「監督 原辰徳研究」を上梓した江本氏が語る

2020年9月11日、川上哲治氏を超えて巨人監督として球団単独トップとなる1067勝を挙げた原辰徳監督。7月に『監督 原辰徳研究』(徳間書店)を上梓した野球解説者の江本孟紀氏は、「今日の偉業達成は、あのときの屈辱から始まったと見ている」と話す。江本氏に当時のことを振り返ってもらい、原監督とのエピソードについて、余すことなく語ってもらった。

江本孟紀氏

Ⓒ佐々木和隆


今年のセ・リーグのペナントレースは巨人の独走でほぼ決着がついたかと思えるほど2位との差が開いている。同時に原監督の戦術、采配面についての評価は、多くの野球評論家や野球ファンが賛辞の声を惜しまない。

だが、江本氏は「みんな気づくのが遅いんですよ」と苦笑いする。

「僕はもとから彼の監督としての資質、能力を評価していました。そうでないとこういったテーマの本は書けないですしね(笑)。2019年までの13シーズンでAクラス入りが12回。そのうちリーグ優勝8回、日本一3回。これだけ見ても立派な数字ですよ」

だが、これまでの間、多くの野球ファンから原監督は名将と呼ばれなかった。その理由について、「巨人という戦力的に整備されているチームだからこそ優勝できたんだ」「万年Bクラスのような、弱いチームの監督を務めていたら、こうはいかない」といった意見があった。

この意見にも、江本氏は異を唱える。

「たしかに彼が最初の監督に就任した2002年シーズンは、戦力的に整っていた。前監督の長嶋茂雄さん時代の遺産だと言われれば、それは否定できないかもしれません。けれども2度目の監督に就任した06年、3度目となった19年シーズンは決して強いとは言えなかった。昨年だって開幕前に行った野球評論家の優勝予想では、前年まで3連覇を達成した広島を推す声が多かったくらいでしたから」

それでも大方の予想を裏切り、昨年の巨人が5年ぶりのセ・リーグ制覇を成し遂げることができた背景には、原監督の采配なくして語れないと江本氏は見ている。

原監督がこれまで「名将」と呼ばれなかった理由

それではどうして原監督は「名将」と言われることがなかったのか。

「顔がさわやかすぎるんです。原監督は現役時代、『若大将』と呼ばれたニックネーム通り、清廉潔白なイメージで子どもや女性まで、絶大なる人気がありました。そのうえ東海大相模高校時代には1年の夏から甲子園に出場し、2年春のセンバツでは準優勝に導いた。『甲子園のスター=原辰徳』と、まさに野球界のエリート街道を歩んでいました。

それと比較すると、野村克也さんや星野仙一さんの顔は、さわやかとはほど遠いところにある(笑)。さわやかではなく、『策士』と呼ぶべき含みのある表情をしているでしょう? 実はこのことが、名将と呼ばれるためには非常に重要なファクターとなるのです」(江本氏)

特に野村氏は、原監督がどんなに巨人の監督として実績を積み重ねていっても、『坊ちゃん』呼ばわりしていた。エリートで苦労知らずという意味でそう呼んでいたのだが、「それは野村さんがあまりにも原監督のことを知らないからそう呼んでいたのに過ぎないのです」と江本氏は分析している。

「江本さん!」と呼び止めた後の原監督の凄みを込めたひとこと

江本氏の脳裏から離れない思い出がある。今から17年前、巨人の監督を辞任するときのこと。

この年は阪神が18年ぶりのリーグ優勝を果たし、前年ぶっちぎりの優勝を決めた巨人は低迷した。結果、責任をとる形で原監督はその職を離れることになったのだが、事実上は解任と呼ぶのに近かった。会見では当時の渡辺恒雄オーナーが、「読売グループ内の人事異動」と発表していたが、その場に居合わせたメディアの人間は、誰一人としてその言葉を信用していなかった。

それからほどなくして、広島市民球場(当時)で行われる広島戦の試合前に、江本氏は原監督と顔を合わせた。すでに辞任が決まっていたとはいえ、どんな言葉をかけてあげたらいいのか、江本氏は考えあぐねていた。

「原監督の周りには50人以上の報道陣がいたのですが、まるで腫れ物にさわるかのように誰も近寄らずに、遠巻きに見守っているんです。『残念でしたね』と言ってしまうと、彼のプライドを傷つけるだけでしょうし、かといって野球以外の話をするのもまた違うよなと考えると、いつも通り原監督に声をかけるのは正直抵抗があったんです」

そのとき、ニッポン放送のアナウンサーだった深澤弘氏が、江本氏の顔を見つけるなり、「原監督と話をしてきなさいよ」とけしかけられたという。その言葉に江本氏は一瞬躊躇したものの、「それならほんの少しだけ」と思い、原監督に話しかけた。

すると原監督のほうから江本氏に、「クビになりました」と明るい表情で話しかけてきてくれた。重々しい空気が一変し、江本氏は原監督としばし談笑した。周囲にいたメディアの関係者も安堵した空気が流れ、江本氏が「じゃあ試合頑張って」と立ち去ろうとした瞬間、

「江本さん!」

とそれまでとは違った、怒気を含んだ迫力のある声で、原監督が江本氏を呼び止め、振り返った。すると、

「こんな屈辱は人生で初めてですから!」

まさに原監督が鬼のような形相で、この言葉を発したのだ。当時のことを江本氏は、こう振り返る。

「あれだけ厳しい顔をした原監督は、後にも先にもこのときだけでしたが、私自身、あまりの迫力に返す言葉がなくて、『わかった。わかったから、もうそれ以上言いなさんな』とたしなめるしかありませんでした」

主力にも容赦ない「勝ちにこだわった采配」

江本氏は原監督とは、プライベートで食事をしたり、ゴルフコンペに参加したりしていたが、普段の原監督は実にフレンドリーである。話し出せば、政治や経済、歴史、外交問題など、野球以外の話もできて、野球人としては稀有な存在だと話す。

その原監督が、まるで鬼神になったかのごとく、復讐に燃えるオーラを放っている。それだけに、江本氏は思わずたじろいでしまったのだが、同時にこんなことも考えていた。

「原監督の野球人生は、本当の意味でここから始まるんだろうな」

もしこの先、彼が巨人の監督を引き受けることになれば間違いなく断らないだろうし、これまでとは違った監督像が見られるはずだ。実際、2年後に巨人の監督として再びユニフォームに袖を通したときには、「勝ちにこだわった采配」を見せるようになり、たとえ主力選手であっても容赦することはなかった。

「どんなに外から批判されようとも、そんな声は一切気にせず、『自分がやらなければならないことをやる』という信念を持って、やり通すだけの強さがある。これは簡単にできるようで、なかなかできないことですよ」と江本氏は話す。

当時とは比べものにならないくらい、威厳と風格が増していった現在の原監督。残り試合、巨人はどんな戦い方をしていくのか、今後の原采配に注目していきたい。

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「監督 原辰徳研究」の表紙

Ⓒ徳間書店

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