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能見篤史、元高校生左腕三羽烏が証明した「遅咲きの花は大輪に成る」

2022 12/8 11:00SPAIA編集部
能見篤史,ⒸSPAIA
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平安・川口知哉、水戸商・井川慶と「高校生左腕三羽ガラス」

オリックスで選手兼任投手コーチを務めていた能見篤史がユニフォームを脱いだ。2004年ドラフト自由獲得枠でプロ入りしてから18年。ファンに愛され、選手に慕われた左腕の現役生活を振り返ってみたい。

能見は鳥取城北高時代、2年夏の鳥取大会で準優勝、同年秋には県大会で優勝し、中国大会でベスト4に進出するなど存在感を放った。3年春の県大会ではノーヒットノーランを達成。3年夏は鳥取西に敗れて結局、甲子園には届かなかったが、平安・川口知哉、水戸商・井川慶とともに「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれた。

川口は夏の甲子園で準優勝してドラフト1位でオリックスに入団。井川も甲子園には出場できなかったがドラフト2位で阪神に入団した。

そんな中、能見は大阪ガスに入社。期待されながらも長らくケガに苦しんだが、2003年の社会人野球日本選手権で準優勝し、翌2004年にはハーレムベースボールウィークに日本代表として出場するなど再び頭角を現した。

当時25歳。川口、井川から7年遅れでようやくプロ入りを果たした。2004年ドラフト同期の自由枠ではトヨタ自動車・金子千尋(オリックス)、松下電器・久保康友(ロッテ)、シダックス・野間口貴彦(巨人)、明治大・一場靖弘(楽天)、日本大・那須野巧(横浜)、高校生でも東北高・ダルビッシュ有(日本ハム)、横浜高・涌井秀章(西武)ら好投手が目白押しだった。

最多奪三振のタイトルに輝き、WBCにも出場

当時はまだ線が細く、1年目は16試合に登板して4勝1敗1ホールド。2年目以降は中継ぎでの起用も多く、殻を破れない日々が続いた。

そんな能見の素質が一気に開花したのが2009年だ。プロ入り後初めての規定投球回到達となる165回を投げて、13勝9敗、防御率2.62、154奪三振をマーク。大きく飛躍するシーズンとなった。

2011年からは3年連続2桁勝利を挙げ、左腕エースとして君臨。2012年には172奪三振で生涯唯一のタイトルも獲得した。2013年に行われた第3回ワールドベースボールクラシック(WBC)にも出場。リーグを代表する左腕としての地位を確立した。

その頃、かつて「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれたライバルたちは対照的な野球人生を歩んでいた。高校時代の実績が最も高かった川口は、プロで1勝もできず2004年オフに戦力外通告。女子プロ野球の指導者となっていた。

阪神で2003年に20勝を挙げるなど優勝に貢献した井川は、ポスティングで2007年にヤンキースに移籍したが、メジャーでは2勝に終わり、2012年からオリックスでプレー。日本球界復帰後も往年の輝きは取り戻せないでいた。

「三羽ガラス」で最も遅咲きで目立たなかった能見は、いつの間にか2人を追い抜き、輝かしいプロキャリアを築いていった。

若手から慕われた選手兼任コーチ

2015年に5度目の2桁勝利となる11勝を挙げたのを最後に、成績は徐々に下降線を辿った。2020年オフ、41歳だった能見に球団は翌シーズンの戦力構想外であることを告げた。

年齢的に引退しても何ら不思議ではなかったが、能見は現役を続行。コーチ兼任でオリックス入りすることが決まった。

オリックスでは若手に助言しながらブルペンでも待機し、2021年は26試合に登板して5ホールドを挙げるなどリーグ優勝に貢献。2022年は登板こそ5試合だったが、能見を慕う若手投手は多く、チームに欠かせない存在だった。

生涯成績は104勝93敗4セーブ57ホールド。井川の日米通算95勝よりも多い白星を積み上げた。

引退と同時にコーチとしてもユニフォームを脱いだ能見。謙虚に自らを律しながら確実に責任を果たす姿は、周囲の尊敬を集め、見る者を心地良くさせる、そんな偉大な左腕だった。いつか指導者として再びユニフォームに袖を通す日が来ることを切に願う。

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