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阪神タイガースの歴代背番号14、岩貞祐太が継承する名選手の系譜

2022 11/20 06:00SPAIA編集部
阪神の岩貞祐太,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

小山正明:1957年

阪神の岩貞祐太が背番号17から14に変更することになった。国内FA権を取得して去就が注目されていたが、残留を決断。球団公式ツイッターでは「能見さんのつけていた14番に変更することになりました。とても嬉しいです。皆さんの前で早く投げたくてウズウズしています」とメッセージを発信した。

投手のイメージが強い背番号14だが、阪神では必ずしもそうではない。歴代の主な背番号14を紹介しよう。

「2代目ミスタータイガース」村山実と先発投手の両輪として活躍した小山正明も1年だけ14をつけたことがある。兵庫・高砂高から入団4年目の1956年に17勝を挙げ、翌1957年に「6」から「14」に変更。同年は15勝を挙げたが、翌1958年から「47」に変更し、引退まで背負い続けた。

山内一弘との「世紀のトレード」で東京オリオンズに移籍後も47を背負い、通算320勝をマーク。「精密機械」と呼ばれたコントロールで球史に名を残した大投手も「14」の系譜に名を連ねている。

本間勝:1958~62年

小山の後を受け継いだのが本間勝だった。中京商から入団した1958年に背番号14を与えられ、1960年には13勝をマーク。翌1961年にも8勝を挙げた。

1962年に未勝利に終わると、翌1963年から「45」に変更。1965年オフに安部和春とのトレードで移籍した西鉄では再び「14」をつけ、通算216試合登板で28勝38敗の成績を残した。

引退後は新聞記者として活動し、その後阪神のフロント入りして長らく広報として活躍した。

中村勝広:1972~82年

新庄剛志と亀山努が大ブレイクした1992年に監督だった中村勝広も現役時代は背番号14だった。成東高から早稲田大を経て1971年ドラフト2位で阪神に入団し、セカンドのレギュラーを獲得。1975年には130試合フル出場して打率.280、16本塁打、12盗塁の好成績を残した。

引退後は二軍監督などを経て1990年に一軍監督就任。2年連続最下位の後、3年目の1992年にヤクルトとシーズン最後まで優勝争いを演じ、「亀新フィーバー」は社会現象にもなった。

阪神の監督退任後はオリックスのGMや監督、阪神のGMなどを歴任。両球団の強化に尽力した。

八木裕:1987年

「代打の神様」と呼ばれた八木裕も1年だけ14を背負っている。岡山東商から三菱自動車水島を経てドラフト3位で入団した1987年、背番号14の強打者は1年目から69試合に出場し、2本塁打を放った。

翌1988年から背番号3に変更し、1990年にはキャリアハイの28本塁打、66打点をマーク。優勝を争った1992年9月11日のヤクルト戦では、9回裏に放った打球が一度はサヨナラ本塁打と判定されながら、エンタイトル二塁打に訂正され、結局6時間26分の激闘の末に延長15回引き分けとなった「幻のサヨナラ弾」もあった。

1990年代後半から代打での出場が増え、2003年の18年ぶり優勝にも貢献。引退後は二軍打撃コーチなどを経て、2022年オフに新庄監督から要請を受けて日本ハムの一軍打撃コーチに就任した。

伊藤文隆:1988~91年

八木の背番号変更に伴って、14を受け継いだのが伊藤文隆だ。1978年に入団してから「20」を背負い、1982年に10勝を挙げるなど主に先発として活躍。1988年から引退する1991年まで「14」だった。

通算320試合で54勝をマーク。2020年から滋賀・光泉カトリック高の監督を務めている。

弓長起浩:1992~2000年

中継ぎ左腕として活躍した弓長起浩も背番号14の系譜に名を連ねている。国東高から亜細亜大を経て1991年ドラフト3位で入団し、ルーキーイヤーから3年連続50試合以上に登板。1998年にはリーグ最多の57試合に登板するなど「暗黒時代」と呼ばれた低迷期の阪神を支えた。

2001年から背番号38に変更し、2002年に引退。通算400試合に登板したが、先発は一度もなかった。17勝13敗7セーブの成績を残している。

能見篤史:2005~20年

弓長の後、ハンセル、アリアスと外国人が続き、2005年から背番号14を継承したのが能見篤史だ。

鳥取城北高時代は平安・川口知哉、水戸商・井川慶とともに「高校生左腕三羽ガラス」と呼ばれ、大阪ガスを経て自由獲得枠で入団。2009年に13勝を挙げると、以降2011年から3年連続を含む計5度の2桁勝利をマークした。

2021年から移籍したオリックスでは背番号26を背負い、兼任コーチとしてプレー。2022年限りで引退するまで通算104勝を挙げた。

能見の後を受け継いだ台湾出身のチェン・ウェインが2022年で退団。阪神残留を決めた岩貞が14番を継承することになった。名選手の系譜に名を連ねる左腕のさらなる活躍が期待される。

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