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近鉄の通算本塁打ランキング 「いてまえ打線」最後の4番・中村紀洋がトップ

2022 11/5 06:00SPAIA編集部
現中日打撃コーチの中村紀洋
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ⒸSPAIA

トップは中村紀洋、2位は土井正博

2022年のプロ野球はオリックスがヤクルトとの日本シリーズを制し、26年ぶりの頂点に立った。そして、2004年の球団統合で近鉄から引き継いだ「バファローズ」としては、初の日本一となった。

一方で、2004年オリックスに吸収合併される形で球団が消滅してしまった近鉄。「いてまえ打線」の愛称で親しまれたその猛打の歴史を振り返るべく、数々の強打者を輩出してきた近鉄の通算本塁打ランキングを紹介する。

近鉄の通算本塁打ランキング


歴代トップは307本塁打の中村紀洋。大阪府立渋谷高から1991年ドラフト4位で入団すると、4年目の95年から三塁レギュラーに定着し、打率.228ながら20本塁打をマークした。

またこの年から2004年まで10年連続2ケタ本塁打を記録。00年に39本塁打で本塁打王に輝き、01、02年と2年連続で40本塁打以上を放つなど、「いてまえ打線」の4番として活躍した。05年のメジャーリーグ挑戦を経て、06年にNPBへ復帰。オリックス、中日、楽天、横浜DeNAを渡り歩き、通算404本塁打を記録した。

2位は305本塁打の土井正博。大鉄高(現阪南大高)を中退して1961年に入団すると、翌年のオープン戦では4番に起用され、「18歳の4番打者」と話題になった。63年に13本塁打で初の2ケタ本塁打をマークすると、71年に自己最多の40本塁打を放つなど現役晩年の80年まで18年連続で2ケタ本塁打を記録。太平洋に移籍した75年には34本塁打で自身初の本塁打王にも輝いた。81年限りで現役を引退し、通算では465本塁打を放っている。

外国人通算最多本塁打のローズが3位

3位はタフィ・ローズの288本塁打。96年に入団すると、全試合に出場して3本のサヨナラ弾を放つなど27本塁打をマーク。99年には40本塁打、101打点で初の本塁打王と打点王の二冠に輝いた。

2001年には本塁打を量産。パ・リーグの外国人で史上初となる50号を放つと、9月24日の西武戦(大阪ドーム)で松坂大輔から当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打を達成した。04年に巨人、07年にオリックスへ移籍し、09年限りで現役を引退。通算では外国人最多の464本塁打を記録している。

4位は259本塁打のラルフ・ブライアント。1988年に中日へ入団したが外国人枠の関係で出場機会に恵まれず、6月に金銭トレードで近鉄へ移籍。すると、2度の1試合3本塁打を放つなど、74試合で34本塁打をマークする大活躍を見せた。翌89年には49本塁打で本塁打王に輝き、リーグ優勝に大きく貢献。93、94年にも本塁打王を獲得したが、95年にケガのため10本塁打に終わり、このオフに自由契約となった。

5位は羽田耕一の225本塁打。三田学園高から1971年ドラフト4位で入団すると、2年目の73年に12本塁打を放ち三塁のレギュラーを獲得。77年には22本塁打、80年には自己最多の30本塁打も記録した。近鉄一筋で18年プレー。89年のリーグ優勝を機に、現役を引退した。

6位は215本塁打で栗橋茂。帝京商工高から駒澤大を経て1973年ドラフト1位で入団するると、5年目の78年に4番に定着して20本塁打をマーク。翌79年には自己最多となる32本塁打を放ち、球団初のリーグ優勝に大きく貢献した。「和製ヘラクレス」と称されるほど筋骨隆々の肉体から長打を連発し、猛牛打線の中心打者として活躍。89年のリーグ優勝を見届け、この年限りで現役を引退した。

北海の荒熊に、小兵選手もランクイン

7位は192本塁打の鈴木貴久。旭川大高から電電北海道を経て1984年ドラフト5位で入団すると、87年に21本塁打を放ちレギュラーを獲得。90年まで4年連続で20本塁打以上をマークし、「北海の荒熊」の異名をとった。97年の開幕戦では、大阪ドーム公式戦第1号も放っている。9度の2ケタ本塁打を記録し、2000年限りで現役を引退した。

8位は小川亨の162本塁打。宮崎商高から立教大を経て1967年ドラフト3位で入団すると、4年目の71年に自己最多となる20本塁打を記録し中心打者となる。75年には180打席連続無三振のプロ野球記録(当時)を樹立するなど、巧打者として打線を支えた。一方で、パンチ力も備えており、2ケタ本塁打を8度記録している。

9位には148本塁打の大石大二郎。小川に続き小兵の巧打者がランクイン。4度の盗塁王を獲得するなど韋駄天のイメージが強いが、プロ4年目の1984年に自己最多となる29本塁打を放つなど、5年連続2ケタ本塁打を記録するパワーも兼ね備えていた。近鉄一筋で17年プレーし、97年限りで現役を引退した。

10位は村上嵩幸の144本塁打。大牟田高から1983年ドラフト3位で入団すると、2年目の 85年に遊撃のレギュラーに定着し、翌86年には自己最多となる22本塁打を放った。その後はケガに泣いたが、近鉄に在籍した16年間で8度の2ケタ本塁打を記録。2000年に西武へ移籍し、翌01年に現役を引退した。

球団が消滅してから18年の月日が流れたが、今なお色褪せない球史に残る名選手たちが名を連ねた。猛牛戦士たちの記録はその輝かしい活躍の記憶とともに、これからも語り継がれていくことだろう。

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