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東京ヤクルトスワローズの18番を背負ってきた名選手5人

2016 7/20 18:32
背番号18
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球団のエースナンバーである背番号18。
ヤクルトスワローズで、その伝統ある18番を継承してきた名選手5人をピックアップして紹介しよう。※()は18番を背負っていた年度

息子もプロ野球選手”会田照夫”(1971年~1974年)

1970年のドラフト会議でヤクルトスワローズ(当時アトムズ)に8位指名された会田照夫選手は、1年目から先発に定着して6勝を挙げる。 18番ということもあり、エース級の働きを期待されるが、2年目以降は中継ぎとしての起用が多くなる。10年間の現役生活で273試合に登板し、29勝の成績を残す。
会田照夫選手の息子である会田有志選手(読売ジャイアンツ)が勝利をマークしたことで、プロ野球史上初の父子一軍勝利となった。会田照夫選手は、このエピソードの方が有名かもしれない。

怪物サッシーこと”酒井圭一”(1977年~1983年)

酒井圭一選手は、1976年のドラフト会議で長崎海星高校から1位で指名される。海星高校時代に甲子園で”怪物サッシー”と称されるほどの活躍を見せたため、超高校級ルーキーの期待を背負い、18番を与えられてヤクルトスワローズに入団する。 怪我の影響もあり、1984年には背番号を23番に変更されるが、14年間ほぼ中継ぎで起用され、215試合に登板する。
現役引退後は、打撃投手を経て、現在はスカウトとして未来の18番獲得へ向け奔走している。

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