2020年に広島から戦力外
ソフトバンク・藤井皓哉の「無双」とも言えるセットアッパーぶりが際立っている。今年の3月21日まで背番号157の育成選手だったことが信じられないくらいだ。
1996年7月生まれの藤井は力のある速球とスライダー、フォークを武器に2014年ドラフト4位でおかやま山陽高から広島に入団した。ドラフト同期の同学年には、巨人・岡本和真(1位、智辯学園)、楽天・安樂智大(1位、済美高)、西武・髙橋光成(1位、前橋育英)などがいる。甲子園には出場していない。
2年間は救援投手として二軍でプレーし、2016年にはフレッシュオールスターゲームに選出。翌年9月21日に一軍へ昇格し、デビュー戦となった9月30日のDeNA戦では初ホールドも挙げた。だが以後は一軍に定着できず。球威はあったが安定感に欠けていたため、二軍でも成績を残すことができないまま低迷してしまう。
2019年に二軍で26試合に登板、27イニング、自責点1という目の覚めるような成績を残すも、一軍での登板は前年の8試合を下回る4試合に終わる。2020年は一軍での出場はなく、二軍でも27.1回、自責点14、防御率4.61の成績で、このオフに戦力外通告を受けた。
課題だった制球力
広島時代の藤井の一、二軍成績を見てみよう。
入団当初の藤井の課題は「制球力」だった。2年目には二軍で奪三振を大きく上回る四球を与えている。この乱調は次第に改善されたが、それでも「制球難」と言う評価はついて回った。2019年は二軍で圧倒的な成績を残すも一軍では結果が残せなかった。
全体的に被本塁打はそれほど多くない。また、一軍ではイニング数を大きく上回る三振を奪っているが、与四球も多く、救援投手として信頼を得ることはできなかった。
2020年オフに戦力外通告を受け、12月に12球団合同トライアウトに参加。打者3人を退けるも、NPB球団からオファーはなく、2021年は独立リーグ四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスでプレーすることになった。
高知で牙を研ぎ、ソフトバンク3軍相手にノーノー
高知の監督の吉田豊彦は南海・ダイエー、阪神などで20年にわたって活躍した左腕投手で、独立リーグでの指導歴も10年を超す。吉田監督は藤井の圧倒的な球威を見てエースに起用、試合を任せることにした。藤井は試合を通じて持ち球のスライダー、フォークに磨きをかけた。
再び藤井の名前が注目されたのは2021年5月9日、ソフトバンク3軍との交流戦でノーヒットノーランを記録したときだ。ソフトバンク3軍と四国ILの各チームは毎年交流戦を行っており、ほぼ互角の戦績ではあったが、それにしても、NPBのチーム相手に大記録を樹立するのは破天荒なことだった。
それだけではない。藤井は4回対戦したソフトバンク戦で、4試合、30回を投げて許した安打は8本、40三振を奪い、自責点はわずか1と、圧倒的な成績を残したのだ。
この年、藤井は四国ILで22試合に投げ、11勝3敗、145回、180奪三振、37与四球、2被本塁打、防御率0.94を記録。奪三振と防御率はリーグ1位だった。
この圧倒的な数字に唸ったのはソフトバンクの首脳陣だ。7月末のトレード期限までに藤井を指名することはなかったが、12月にソフトバンクは高知に藤井の譲渡を申し入れ、移籍が決まった。
開幕前に支配下復帰、絶対的セットアッパーへ
筆者は広島時代から藤井を見てきたが、走者を出すと非常に緊張しているように見え、プレッシャーで十分に力が発揮できない傾向があるのではないかと思われた。
しかし、四国で先発として1試合をまるごと任せられ、NPBより弱い打線を相手に思い切って投げることで吹っ切れた部分があるのではないか。また今季、圧倒的な武器となっているスライドしながら鋭く落ちるフォークも四国時代に磨いたと思われる。
ⒸSPAIA(撮影・広尾晃)
今季のオープン戦では走者を出して硬い表情になることもあったが、内野陣に励まされてピンチを乗り越えるシーンも見た。5試合で6回を投げ、4被安打、10奪三振、4与四球、防御率1.50の成績で、開幕前に支配下登録を勝ちとった。
ホークスでの初登板は日本ハムとの開幕2戦目の3月26日の9回、清宮幸太郎から本塁打を打たれ降板した。前途多難を思わせたが、ここから21試合連続で零封。6月26日時点で、28試合4勝0敗1セーブ8ホールド、29.2回、8被安打、2被本塁打、45奪三振、12与四球、防御率0.61の成績を残している。
失点は3月26日の清宮と6月10日のヤクルト戦で山田哲人に打たれたホームラン2本だけ。いずれもソロだった。今では、同じく四国の香川上がりで中日から移籍した又吉克樹と、絶対的な「勝利の方程式」を組んでいる。
一度NPBを退団して独立リーグに移籍し、再びNPBに復帰した選手は何人かいる。だが、復帰後一線級の投手として活躍したのは、2015年にMLBから同じく高知に入団し、翌年阪神に復帰した藤川球児くらいしかいない。
藤井の例はレアケースだと言えるが、彼の活躍は、独立リーグでプレーする選手にとっても大きな励みになることだろう。
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