現役時代から独自の野球理論
今年の巨人は若手投手の台頭が目立つ。4月までに6人がプロ初勝利を挙げたのは史上初の快挙だ。そんな投手陣を束ねるのは昨年、投手チーフコーチ補佐として巨人に復帰し、今年から投手チーフコーチを務める桑田真澄コーチだ。
プロ2年目に15勝を挙げると6年連続で2桁勝利をマークするなど、巨人のエースナンバー「18」に恥じない投球を披露。これを支えたのは貪欲な「研究心」と勝つことへの「こだわり」だ。
若い頃からトレーニングに関する知識を身につけ、当時はまだ主流ではなかったウエートトレーニングを積極的に取り入れた。評論家から「余計な筋肉をつけると投球に影響する」などと批判されたが、しっかりと結果を出して黙らせたものだ。
正しいと思ったことは実行するし、口にもする。そのため古い世代の野球人との間に軋轢を生むこともあったが、気にする様子はなかった。自分の理論に自信を持っていたのだ。だから野球に関する質問であれば、間を置かずに根拠を示しながら明確に答えられた。例えば、先発投手の登板間隔について聞いた時、こう答えている。
「キャンプから基本的に中6日を想定した練習を行なっています。シーズンに入って“中5日で行ってくれ”と言われたら、それは全然OK。中6日と調整法が変わらないからです。でも“中4日で行ってくれ”というのはちょっと…。調整法が変わるんですよ。キャンプから中4日を想定した練習を続けていれば大丈夫です」
他の選手なら、いろいろ考えながら「監督やコーチの指示に従う」などと答えるところだが、桑田コーチは若い頃から野球についてはしっかりとした意見を持っていた。自分が正しいと思ったことを主張するのに、迷いはなかった。自分とは異なる考えに耳を貸さない傾向もあったが、自分の考え方にここまで自信を持てる選手はあまり見たことがない。
投手・桑田が150キロを出さなかった理由
また、150キロが速球派投手の代名詞だった頃、球速に関してこんな見解を示したことがある。
「150キロは出そうと思えば出せます。でも自分がコントロールできるスピードじゃない。コントロールできない150キロを投げるより、コントロールできる147、8キロを投げた方が勝ちにつながるでしょ。コントロールできない150キロなんて意味がないんですよ」
昨今の球界では「いつかは160キロを出したい」と話す若い投手が多い。また、ボールの回転数など様々な数値、指標が投手の特徴を表す材料として用いられている。しかし、実際の打者との勝負では、数字が示す通りの結果にならない場合も多い。桑田コーチは若い頃から「勝つためにどうすべきか」ということを常に考えていた。
勝利へのこだわりで言えば、守備やバッティングでもいっさい手抜きはなかった。ゴールデン・グラブ賞に8度選ばれ、打撃では通算192安打をマークし、打率は2割1分6厘。犠打も110を記録している。セ・リーグの投手、特に先発投手は自動的に二刀流を求められる。
「それは当たり前。投げたらしっかり守る。打席に立てば、ヒットを打つ。ランナーを送る。そういうことがきちんとできれば、簡単に代打を出されなくなるから、長いイニングを投げられるじゃないですか」
完投するのが当たり前と考えていた桑田コーチはよくそう話していた。自身の勝利、チームの勝利にも近づくわけだから、打席で打つ気がない、バントができないといった投手には批判的な目を向けていた。
恩師・藤田元司監督の背番号73
身長174センチと小柄ながら、巨人でエースナンバーを背負い、先発完投形の投手として長い間、チームを引っ張ってきた。それができたのは、勝つための野球哲学を持っていたからだ。また、いつでも開けられる引き出しをたくさん持っており、何か質問されれば即座に答えることができる。第三者に伝える言葉を持っているのも強みだ。
桑田コーチの理想は先発投手の完投を増やすことだと思う。自分の知識や考え方を教えれば、簡単にできるものではない。選手に考えさせ、実践させ、必要であれば助け舟を出して確実に成長につなげる。そうしたことが桑田コーチにはできるのではないか。それだけの経験をしてきたし、準備もできている。
現在の背番号「73」は恩師である藤田元司監督(故人)が付けていた番号だ。藤田監督が作り上げた最強投手陣の再現を期待したい。
《ライタープロフィール》
松下知生(まつした・ともお)愛知県出身。1988年4月に東京スポーツ新聞社に入社し、プロ野球担当として長く読売ジャイアンツを取材。デスクなどを務めた後、2021年6月に退社。現在はフリーライター。
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