MLBのスーパースター、マニー・ラミレス
NPBでプレーしたメジャーリーガーでMLBでの本塁打が最も多かったのは、2013年に楽天へ入団したアンドリュー・ジョーンズの通算434本塁打。また安打数は1977年に中日へ入団したウィリー・デービスの2544安打だ。しかし「日本野球でプレーした」まで範囲を広げると、両方ともに上回る選手がいる。
MLB通算555本塁打、2574安打、インディアンス、レッドソックスなどで活躍したマニー・ラミレスだ。首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回、シルバースラッガー賞9回、オールスターに12回選出されたスーパースターが、2017年、独立リーグ四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団したのだ。
マニー・ラミレスがMLBのタンパベイ・レイズで引退を宣言したのは2011年4月のこと。翌2012年にはアスレチックスとマイナー契約をするもメジャー昇格を果たせず、2013年には台湾プロ野球(CPBL)の義大ライノスへの入団を発表した。
台湾ではMLBはNPBと並んで人気がある。スーパースターのマニー・ラミレスを見るためにファンは球場に押し寄せた。CPBLは度重なる八百長、野球賭博事件によってすっかり信用を失っていたが、マニー(CPBLでの登録名は曼尼)の参戦で人気が盛り返したと言われている。
筆者は同年6月に台湾でマニーを見た。試合前の打撃練習では、CPBLの打者たちが時折気のないようなスイングをする中で、41歳のマニーは1球1球丁寧に打っていた。1球の打ち損じもなく、ライナー性の打球を外野に飛ばしていた。偉大な打者の片りんを見た思いがした。
しかしマニーは6月19日に退団を表明、CPBLでは49試合182打数64安打8本塁打43打点、打率.352だった。
NPB入りも視野に四国IL・高知へ
以後もマニーはマイナーリーグでプレーをするなど現役続行の意思を示していたが、2017年に高知ファイティングドッグスに入団が決まった。高知でプレーしていたザック・コルビーが仲介役になったと言う。
登録名は「マニー」。入団記者会見では「NPBへの入団も視野に入れている」と話した。このため、契約期間はシーズン開幕からNPBのトレード期限の7月31日まで。イチローより1歳上のマニーはこの年45歳、NPB入りが実現していれば史上最高齢での入団だった。
マニーの打撃はここでも際立っていた。4月1日のソフトバンク3軍との試合では左腕・伊藤祐介から鋭い安打を放った。また打撃練習でも鋭い打球を連発していた。ただし守備には一切つかずDH専門。また、試合途中で引き上げることもあった。
ⒸSPAIA(撮影・広尾晃)
球場に駆け付けた高知市民の中には「なんや、ラミちゃんとちがうんか」と言う人もいた。巨人やDeNAなどで活躍したアレックス・ラミレスと勘違いしていたのだ。ちなみに、ベネズエラ出身のアレックス・ラミレスは、ドミニカ共和国出身のマニー・ラミレスと1998年から2000年までインディアンスでチームメイトだった。マニーはすでにスターだったがアレックスは控え外野手だった。
自由気ままな性格が愛され高知で人気者に
しかし高知の人も、日本だけでなくアメリカのメディアも追いかけるマニーがスーパースターであることを知り、次第に歓迎するようになった。
マニーは夫人を伴って来日したが、夫人が1ヶ月で帰国すると自由気ままに動き回るようになる。休日には関東まで出かけることもあった。市内のシティホテルに宿泊していたが、商店街のパン屋のクロワッサンが気に入って、自転車で買いに行くようになる。その道すがら、通行人に手を振ったり、話しかけたりした。
また、ホテルの宴会場で行われた宴会に飛び入りで参加して、藁焼きのカツオのたたきを食べたりもした。日本円をほとんど所持していなかったので、飲食店などは請求を球団に回したと言う。こうしてマニーは「高知の人気者」になっていった。
7月末の移籍期限までにNPB球団からのオファーはなかったので契約はシーズン終了まで延長されたが、8月に入ると「右ひざの故障」を訴えて試合には出なくなる。しかし以後も高知に滞在して、日本での生活を楽しんでいた。
高知の駒田徳広監督(現巨人三軍監督)は「試合に出ればいい打撃をするけど、出るのかどうかわからないので」と困惑気味だった。高知での成績は23試合80打数33安打3本塁打22打点、打率.413。打撃技術はまだ衰えていなかった。
ⒸSPAIA(撮影・広尾晃)
50歳を迎える今年も高知へオファー
マニー・ラミレスがMLBで獲得した年俸総額は2億ドル(257億円)に上る。もはや金ではなく野球をする環境を求めて、CPBLや日本の独立リーグにやってきたのだろう。そしてその人懐こい性格で、地元の人々を魅了したのだ。
筆者はマニーのプレーを見るために4回高知に赴いたが、その存在感の大きさ、プレーの迫力に圧倒された。顔見知りになると人懐こい笑顔を見せてくれた。
「最近もマニーからオファーがあったんですよ。本気かどうかわからないけど」
高知ファイティングドッグスの関係者は語る。今年50歳になるマニー・ラミレスはまだ「野球がしたくてたまらない」ようだ。
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