2020年にオリジナルブランド「mskt」立ち上げ
スタイリッシュにデザインされたロゴが一際目を引く。「mskt」というグラブをご存じだろうか。「野球をおしゃれに」のコンセプトの元、埼玉西武ライオンズ、日本ハムファイターズで外野手として活躍した松坂健太さん(36)が2020年に立ち上げたオリジナルブランドだ。
共通の知人を介して知り合った塩崎裕也さん(35)が代表を務めるグラブメーカー「村正」とコラボレーションし、丈夫ながらもしっとりとした質感が特徴のステアレザーを使用。各パーツの無駄を省いたシンプルな形状が特徴だ。
「元プロがグラブを監修することはあるけど、ガチガチでグラブを作ることは聞いたことがありませんね。今は内野用一型、外野用二型しかありません。いっぱいモデルがあったらどこに重きを置いていいか分からないので(笑い)。僕は外野手だったので、そこで強みを出していきたいですね」
「軽さ」へのこだわり、土手部の芯材の厚さを半分に
一からグラブを設計できることに喜びを感じている。こだわったのは「軽さ」だ。「大手のメーカーと一緒の作りでは買ってくれない」という信念の元、土手部の芯材の厚さを半分にするなど、徹底したこだわりを見せ、製作する職人へとバトンを渡す。そこには自身のプロでの経験が大きく影響している。
プロでは大手メーカーから外野手用グラブを支給されていたが、ほぼ市販されているモデルを使用。細かな要望は出せずにいた。「もらえるだけでありがたかったので。こうしてください、とか言える立場ではなかったですね」と当時を振り返る。
本人提供
松坂さんは2003年ドラフト5位で西武に入団。2007年の1軍デビュー戦で本塁打を放ち、翌2008年には開幕戦に「9番・左翼」でスタメン出場するなど、将来を嘱望されたが、チームが日本一に輝いたこの年の55試合出場がキャリアハイ。
2010年オフに戦力外通告を受け、トライアウトを経て日本ハムに入団も1軍出場はなく、2011年オフに2度目の戦力外通告を受け、この年限りで引退した。
「捕ることにこだわりが強かった」現役時代
現役当時、身長187センチ、体重86キロ。パンチ力を秘めた豪快な打撃もさることながら「(ボールを)捕ることには自信があったし、こだわりが強かったですね」という。確かに数こそ少ないが外野で通算62試合に出場し、91刺殺(守備選手が打者や走者を直接アウトにすること)、2捕殺(守備選手が打者や走者を間接的にアウトにすること)、失策0で守備率は10割を誇る。
「僕の中でこういうグラブを作りたい、というのはずっとあった」。その理想形が「無駄を省く」ということだった。球際の打球に、あと一伸びすれば届くようなグラブとは何かと考えた結果、「軽さ」にたどり着いた。
現役時代に具現化することは叶わなかったが、今は設計者という立場でその理想を追い求めることができる。
実際にプレーヤーとして使用しながら設計にフィードバック
松坂さんは現在、香川県でスポーツ店に勤務しながら「mskt野球教室」を開校。地元の野球少年らを指導する傍ら、自らも社会人軟式野球チームの「ITALY」にプレーヤーとして在籍し、実際にmsktのグラブを使用しながら改善点などを見つけ、設計にフィードバックする。
「草野球という遊びの感覚は全くないですね」と話すように、全力疾走がモットーの強豪チームで、2020年11月には三塁へ果敢にヘッドスライディングを試みた際、左膝をグラウンドに強打し、後十字靭帯断裂という大ケガに見舞われた。
手術をしないと再建することはないが、保存療法を選択し、プレーできるまで回復。4月に沖縄で行われた全国軟式草野球大会「グランドスラム杯」では3番打者として活躍し、ベスト4進出に貢献した。
実は日本ハムを退団後、西日本の強豪社会人チームからオファーを受けたが「プロからもう一度アマチュアで野球できるのか不安だった」。結局、競技から離れる決断を下し、サラリーマン生活を選択。埼玉県や沖縄県の会社を渡り歩き、2015年5月からようやく香川県に落ち着いた。
高校野球の指導者「チャンスがあるなら」
硬式球と軟式球の違いこそあるが、一度は自らが閉ざした道である社会人野球と真摯に向き合っていくうちに、将来は高校野球の指導者になりたいと考え始めるようになったという。
大阪の東海大仰星高(現東海大大阪仰星高)から直接プロ入りしたため、教員免許は持っていないが、2017年に学生野球指導者の資格を回復。「(龍谷大平安高の)原田監督や(智弁和歌山高の)中谷監督は学校職員だと聞いたので、そういった立場でチャンスがあるのならぜひ指導してみたい」と意欲を見せる。
NHK高松放送局で秋と夏、高校野球香川大会の解説や、大会前のニュース番組で展望を語るなど、球児の動向は逐一チェックしている。msktのグラブで華麗なキャッチを見せた選手を、ベンチで褒め称える松坂監督。近い将来、甲子園でそんな光景が見られるかもしれない。
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