全国約15カ所のデパートを飛び回る日々
職場が野球場からデパートの催事場へと変わっても、持ち前のガッツと一生懸命さは変わらない。かつて横浜ベイスターズに在籍していた下窪陽介さん(43)は、声を張り上げながら自社の製品をアピールする。
下窪さんは2006年ドラフトで外野手として横浜に入団。4年間で96試合のみの出場に終わり、2010年限りで退団した後は、サラリーマン生活を経て、2015年から家業でもある下窪勲製茶(鹿児島県南九州市頴娃町)の営業担当として、主に全国約15カ所のデパートを飛び回り、出店、販売する日々が続く。
鹿児島県は2021年度、生産量において静岡に次いで2位を誇る全国でも有数のお茶どころ。4月はその年の最初の新芽を摘み取って作られる「一番茶」の季節で、1年のうちで最も忙しい書き入れ時だ。その実直な接客姿勢も相まって、下窪さんの周りには自然と人だかりができ、「知覧茶」などの茶葉が売れていく。
「この時期は従業員が寝ないで仕事をしてくれている。そんなお茶だから自信を持って売れるし、自分も頑張って売らなければいけないなと思う」。下窪さんは使命感いっぱいにそう話しながら、時折充実した表情を見せる。
元プロ野球選手のプライドが営業の妨げに
プロ野球選手のセカンドキャリアとしては非常に珍しいといえるお茶の営業販売。ただ、入社当初は野球界の第一線で活躍してきたというプライドが仕事の妨げとなることがあった。
鹿児島実業で1996年センバツ優勝投手に輝き、日本大学3年から野手に転向。日本通運を経てプロ入りとエリート街道を歩み続け、周囲から憧れと尊敬のまなざしを向けられ続けた自分にとって、接客業はまさに未知なる分野。最初はとまどいの方が多かったという。
「何で俺がいらっしゃいませ、とか言わないといけないのか。買いたいのなら勝手に買っていけばいいと思っていたこともある。でも、そんなんじゃ、売れないんだよね」
野球選手の自負心と、お茶を営業、販売している現実との間で揺れ動く日々が続いた。
葛藤の日々の中で出合った一冊の本
そんな葛藤の中で、下窪さんはある一冊の本と出合う。「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎文庫、渡辺和子著)というエッセイを読み終えた時、これまでの価値観や考え方が一変した。「不平不満を言わずに、置かれている場所で根を張って頑張りなさいという内容で、ああ、今の自分ことを言っているんだな、と思った」
そこから本気になった。まず、自社のことを知ることから始めた。「製品のよさは知っていたけど、何でこの会社はこんなにいっぱいデパートの催事場に入れるんだろうか」。それは、創業者の祖父から二代目の父、そして三代目の兄が追求し続けてきたこだわりの茶葉に対する周囲の信頼と、地道に行ってきた営業活動の証明とも言える。
下窪さんは、品種によって茶葉の量やお湯の温度も違ってくるお茶の淹れ方の習得に励む傍ら、三越や伊勢丹、高島屋などの老舗デパートにも電話をかけ、催事場で出店できるように頼み込んで回った。「(4月に)初めて名古屋の高島屋に入ることができた。今後は(大阪の)阪急うめだ本店に入ることが目標」と鼻息も荒い。
本人提供
「いろんな人の声を大事にする」
コロナ禍の中で、自宅にいる時間も多くなり、お茶を飲む人が増えたことも相まって、順調に売り上げを重ねる下窪さん。自らが歩んできたプロセスをもとに、そう遠くない未来、必ずセカンドキャリアを迎えるプロ野球選手にこうアドバイスする。
「プロ野球選手って自分が凄いと思ってしまう。お金も持っているし、チヤホヤされるから、自分のことをいいように言ってくれる人の話しか聞かない。でもちゃんと人間関係を築いていれば、どこかでいいヒントが必ずある。いろんな人の声に大事にする。今の自分でいうと、お客様の声になるのかな。自分のことをよくしようとしてくれている人の声を大事にしないといけない」
野球に携わるセカンドキャリアを選ぶ元プロ野球選手が多い中で、家業とはいえ、製茶という全くの異業種を選択した自分に胸を張る。
お茶の世界でも日本一に
下窪さんの次なる夢は、全国茶の品評会で日本一を獲ることだ。17年、同社の知覧茶「やぶきた」で農林水産大臣賞を受賞したが、まだ1等に輝いたことはない。
「(品評会で)ゆくゆくは1位を獲ってみたい思いはある。催事場では誰が飲んでも買いたくなるようなお茶を出したいし、最終的には自分でお茶屋さんの店舗を持てたら最高だよね」
鹿児島県唯一となる甲子園優勝投手に輝いた男は、セカンドキャリアでも故郷のお茶を日本一にすべく、日々挑戦を続けていく。
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