センバツで計594球を投げた近江のエース山田陽翔
2022年センバツ。満身創痍の体で5試合先発、計594球を投げ込んだ近江(滋賀)のエース・山田陽翔主将に胸を熱くした高校野球ファンは多かったのではないだろうか。
京都国際の新型コロナウイルス感染による参加辞退に伴い、開幕前日に急きょ代替出場が決定。調整不足が懸念される中でチームを準優勝まで導いたことは称賛に値する。しかし「1週間で500球以内」という球数制限内とはいえ、さすがに投げ過ぎではないかと感じたのも事実である。
山田はベスト4に終わった2021年夏の甲子園で雨天ノーゲームを含む6試合に登板、計546球を投じた影響で右肘を痛め、同年秋の公式戦登板はゼロ。多賀章仁監督(62)も決勝戦終了後、故障明けの、しかも準決勝の浦和学院(埼玉)戦で死球を受けて左足を痛めていた山田に連投を強いたことを悔いる発言をしていたように、指導者にとっても難しい決断であったと言える。
高校野球の「登板過多」は、令和の時代となった今なお、現在進行形の問題である。
「プロでも投手だったらもっとやれたんじゃないか」
「センバツでは大丈夫だったけど、夏の鹿児島大会決勝が終わった直後に右肩が痛くなって…。プロでも投手だったらもっとやれたんじゃないかという思いはあった」
1996年センバツ。鹿児島実業のエースとして全5試合、計553球を一人で投げ抜き、鹿児島県で唯一の甲子園優勝投手に輝いた下窪陽介さん(43)は当時をそう振り返る。下窪さんは右肩痛を抱えたまま、夏の甲子園へ乗り込み、準々決勝で松山商業(愛媛)に敗退するまで4試合中3試合で完投。翌日、病院で精密検査を受け、右肩に剝離骨折が見つかった。
日本大学へ進学後も治療、リハビリが続き、3年時にはチーム方針によって外野手へ転向。日本通運を経て、2006年ドラフトで横浜ベイスターズに入団も、4年間で96試合出場にとどまり、2010年オフに戦力外通告を受けた。高校当時、最速143キロの直球と、「消える」とまで評されたスライダーをプロの舞台で投じることはなかった。
くしくも、センバツ決勝で投げ合った智弁和歌山の高塚信幸さん(42)も大会後に右肩を故障。1997年ドラフトで近鉄に入団したが、本来の姿を取り戻すことができず、野手に転向した後、2003年限りで引退した。
1991年夏の甲子園で右肘を剝離骨折しながら準優勝した沖縄水産の大野倫さん(49)も、九州共立大で野手に転向。1995年ドラフトで巨人に入団後、ダイエーに移り、2002年限りでユニフォームを脱いだ。
3人に共通するのは、野手として勝負したプロ生活が短命に終わったということだ。下窪さんは「(甲子園で投げ続けたことは)自分の判断なので、悔いはない」と話すが、もし肩を痛めずに投手としてプロ入りしていれば、また別の野球人生があったかもしれない。
改革を進める高野連の次なる一手は
高野連も時代に合わせて改革を進めてきた。2000年、延長18回で引き分け再試合としていた規定を15回に短縮すると、2013年夏の甲子園から準々決勝と準決勝の間に初めて休養日を設定。
2018年、延長13回からタイブレーク制導入、2021年、投手の球数を1週間で500球以内に制限、そして2022年から成立前の試合を引き継いで翌日以降に再開する「継続試合」を採用するなど、投げ過ぎによる故障防止策を施してきた。
ただ、問題の根本にある過密日程が解消されなければ、連投による登板過多は避けられない。球児は学業を本業とする高校生。甲子園は春休み、夏休みといった長期休業期間内に開催されることが現実的だと考えると、夏の地方大会を5月や6月の土曜日、日曜日から前倒しで開催し、少しでも登板間隔が空くようにするくらいしか解決策はないだろう。
では、どうすればいいのか。下窪さんは「球数を1週間で500球以内にするのではなく、WBCのように1試合何球で制限すればいい」と提案する。現行の「1週間500球以内」では、初戦が早いか遅いかによって、勝ち上がるたびに不公平さが生じる。しかし、1試合で制限すれば、全チームが平等に戦え、なおかつ投手の肩肘もケアすることができる。
さらに、甲子園ベンチ入りメンバー18人からの増枠や、大学野球のように1試合ごとにメンバー入れ替えが可能となれば、複数の投手を準備することができ、1人に対する負担を減らすことができる。
わずか2年3カ月程度の高校野球生活。球児たちの「燃え尽きたい」という気持ちも、もちろん理解できる。だが、そこが人生の終着点ではない。
ロッテの佐々木朗希が8回までパーフェクトを続けていてもベンチは交代を命じた。プロ野球でも将来のある才能を潰さないよう、最大限の配慮をする時代だ。連投や過密日程によるケガを「美談」としないためにも、今ここで改革の手を緩めないことを切に願う。
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