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選手を活かし育てる指導者、ロッテ・井口資仁監督 「3つの野球人生」経て歩む名将への道

2022 4/22 11:00広尾晃
千葉ロッテマリーンズの井口資仁監督,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

王監督に使い続けてもらったダイエー時代

現千葉ロッテマリーンズ監督の井口資仁は現役時代、3つの「野球人生」を経験した。それが現在の指導者としての得難い資質のもとになっていると言えるだろう。今回はそんな井口監督の野球人生を振り返ってみたい。

井口資仁の打撃成績とBB/K(ダイエー時代),ⒸSPAIA


井口資仁は青山学院大学時代、屈指の長距離打者と知られ、走攻守ともに抜群の成績を残して1996年、逆指名でダイエーに入団した。1年目は故障で出遅れたが即戦力として起用され、2年目には浜名千広から正遊撃手の座を奪った。ただ、打者としては時折長打は出るものの、早打ちで三振が多く荒っぽさが目立ち、選球眼を示すBB/K(四球数÷三振数)は.231という低さだった。

しかし、当時監督を務めていた王貞治は、欠点には目をつぶって井口を起用し続けた。自身が「王、王、三振王」と言われながらスタメンで使われて開花した経験を持つ王は、井口の将来性を信じていたのだろう。

転機となったのは2001年。鳥越裕介に遊撃のポジションを譲り、二塁にコンバートされた井口は全試合に出場し、盗塁王を獲得。ベストナインにも輝いた。2003年には27本塁打42盗塁、打率.340を記録。あと3本塁打でトリプルスリーという好成績で、BB/Kも0.5を上回っていた。そして2004年、かねてからMLB志向が強かった井口は自由契約となり、シカゴ・ホワイトソックスへと移籍する。

ホワイトソックスでは“つなぐ打者”

井口資仁の打撃成績とBB/K(MLB時代),ⒸSPAIA


当時、ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督は「スモールベースボール」を打ち出していた。2005年のチーム計53犠打はリーグ最多。NPBでは強打者だった井口だが、ホワイトソックスでは2番、7番を打つ“つなぐ打者”になり、11犠打を記録。リーグ優勝、そしてワールドシリーズ制覇にも貢献した。2年目には2番打者に固定された。MLBではこの後、2番最強打者の時代が到来するが、井口はその前の時代の“つなぐ”2番打者だった。

3年目のシーズン中にトレードで移籍してからはレギュラーにはなれなかったが、井口は規定打席に2回到達し、中軸ではないものの主力打者としてMLBで活躍した。日本から移籍した内野手としては2007年にレイズに移籍した岩村明憲とともに、数少ない成功例と言えよう。

2006年4月5日のブルージェイズ戦では、二塁を守る井口はマウンドの後ろに飛んだ打球をダイビングキャッチし、空中で向きを変えて一塁へ送球してアウトにした。このスーパープレーはアメリカのファンの間で今も語り草になっている。

円熟した強打者となってNPBに復帰

井口資仁の打撃成績とBB/K(ロッテ時代),ⒸSPAIA


MLBではNPB時代とは異なる役割を見事にこなした井口は、2009年にNPBへ復帰。35歳となった井口は渡米前とは異なる『円熟した強打者』になっていた。それはBB/Kの数値にも表れている。フルスイングするので相変わらず三振は多かったが、同時に投球をじっくり見極め、2010年には0.86を記録。投手には非常に攻めにくい打者となっていた。

また、ロッテに復帰してからは中堅や若手選手に積極的にアドバイスした。2010年に韓国プロ野球(KBO)から移籍した金泰均は、井口を「尊敬する選手」と言い、井口から日本人投手の特長を聞いて開幕4番として活躍した。またこの年、新人ながらリードオフマンとして活躍した荻野貴司など若手選手にも積極的にアドバイスをして、下剋上によるリーグ優勝、日本一に貢献した。

自主トレでは、ロッテだけでなく多くの選手とともに自主トレーニングを行った。ランニング、筋トレから守備、打撃練習、ウェイトトレーニングと徹底的に鍛えぬき、その厳しい姿勢が若手選手に強い影響を与えた。2014年以降は規定打席に到達せず、次第に控えに回るようになる。守備位置も二塁から一塁に回るようになったが、試合に出なくても井口の存在感は変わらず大きいままだった。

選手を活かし育てる指導者へ

2017年6月20日、現役最年長選手になっていた42歳の井口は現役引退を表明。ロッテ球団は監督就任を要請した。生え抜きにこだわらず他球団出身者や外国人など多様な野球人を監督に迎えてきたロッテだが、現役引退直後の選手を監督に据えたのは初めてのことだった(毎日時代の1954年に別当薫を選手兼任監督にしたことはある)。

井口はコーチ経験こそなかったが、ロッテ時代の後半は多くの選手を指導する立場になっていた。就任後はリーグ5位、4位、2位、2位と次第にチーム順位を上げたのは、指揮官として手堅い手腕を有していることを表している。

ダイエー時代にリーグ優勝3回、日本一を2回、ホワイトソックスでもワールドシリーズ優勝、そしてロッテではリーグ3位からの日本一といった下剋上も経験している。強いチームだけでなく、弱いチームでの勝ち方を知っていることも井口の強みだろう。

最近では佐々木朗希の育成、起用法で注目された。佐々木の育成は2019年から加わった吉井理人投手コーチ(現ピッチングコーディネーター)が担当し、きわめて慎重に行ってきた。佐々木は3年目を迎えた今季、4月10日のオリックス戦で28年ぶりの完全試合を達成した。

さらに、17日の日本ハム戦でも8回までパーフェクトと驚異的な活躍を見せたが、井口監督はあと3人のところで降板させた。これについては賛否の声が上がっているが、選手、コーチ陣、そして球団の信頼が厚いからこそ可能だった英断だと言えよう。選手を「活かし」「育てる」指導者である井口への期待はさらに高まっている。

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